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白牙/ジャック・ロンドン

白牙
ジャック・ロンドン

My評価★★★★

訳:辻井栄滋
現代教養文庫(2002年6月)[廃版]
ISBN4-390-11648-7 【Amazon
原題:White Fang(1906)


北極の地に住む狼たち。飢えに苦しむ狼たちは人間をも襲う。群れの首領が牝狼キチーだ。キチーは人間を恐れない。野生動物なら当然怯える火をも恐れない。
キチーは狼と犬の混血で、人間に飼われていたことがあるからだ。キチーと牡狼との間に生まれたのが「白牙」だった。

キチーと白牙は野性で暮らしていたが、あるときキチーの飼い主だったインディアンと出会い、彼らに飼われた。白牙は人間との付き合いを学ぶ。
犬たちは狼の血をひく白牙を嫌って虐待していたが、白牙は犬たちに賢く立ち向かい、自分に干渉させないほど強くなる。
成長した白牙はビューティ・スミスに売られた。そして檻の中で闘わされる見世物にされる。
ウィードン・スコットは白牙と出会い、ビューティー・スミスの手から救い出す。

********************

いまさら言うまでもないのですが、ジャック・ロンドン(1876-1916)の代表作の一つ。アラスカでのゴールドラッシュ時代を背景にしています。
全体は短篇ともいうべき5つの章から成り立っていて、各々の章は白牙の成長度によって、野性から人間社会へと場が変わっていくのです。野生動物が人間に心を開くまでの段階に合わせた章立てになっていると思います。
最初の章「荒野」はキチーの物語。北極の荒野を、犬ゾリに遺体を乗せて町へ急ぐ二人の男。ひたひたとおし寄せる飢えた狼の群れ。だが弾は三発しか残っていない。夜になると犬が一匹、また一匹と消えてゆく・・・。この章だけでも優れた短篇小説の味わいがありました。

通常は『白い牙』というタイトルで知られますが、この邦題にはずっと疑問を感じていたのです。
訳者はあとがきで、「White Fang」とは名前であるため「白い牙」とは奇妙で不自然な呼び名なので、日本語にするなら「白牙」か「ホワイト・フォング」とするほうが自然だ、と語っています。
私は原題の「White Fang」とは、獣の牙のイメージと、名前の二重の意味をもっていると思います。とすれば「白い牙」だと牙のイメージしかなく名前を喚起しないので、牙と名前の両方を表す「白牙」のほうがシックリすると思うんですよ。

辻井栄滋の訳を選んだのには、一つには邦題の付け方、もう一つは現時点で最新の訳であること。また、訳者が1985年に、「ジャック・ロンドン・マン・オブ・ザ・イヤー賞」を受賞していること。受賞したぐらいだからジャック・ロンドンへの造詣が深いだろうと期待したんです。
結果としてこの訳書にしてよかったと思います。
他の文庫の訳では言葉遣いが古くなり多少読みにくいのに対して、この本は新訳で読みやすいんですよ。
でも肝心なのは、カバー折り返しから抜粋した一行に尽きるでしょう。かつてサバイバル・アドベンチャーとして出会われた読者も、この新訳版を再読されれば、新たなメッセージを読み取られるはず。
私が少年期に読んだ訳は(いま思えばおそらく抄訳だったはず)、サバイバルというイメージが強かったように記憶しています。だから白牙が人間になつくのが理解しにくかった。
でも、この訳は違う。野性の白牙が数人の主人を経て様々な体験をし、ウィードン・スコット及びその家族に心を開くまでの交流の物語。野性の動物が飼いならされることの良し悪しは別として、白牙の心情の移り変わりを著した物語だということが明確にわかりました。
何が白牙の心を動かして変え、ウィードン・スコットとの交流を可能にしたのか。それこそがジャック・ロンドンのメッセージなのでしょう。

それでもやっぱり私には、人間の側から書かれた物語だと思う。しかし、それはある程度仕方のないことなのかもしれません。作者の生きた時代は野生動物が狩られる時代ですが、そんな時代に野生動物との交流の可能性を知らしめようとした姿勢こそが評価されるべきではないでしょうか。(2002/7/31)

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