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夢でない夢/天沢退二郎

夢でない夢
天沢退二郎

My評価★★★☆

カバー画・挿画:佐伯俊男
ブッキング(2005年5月)
ISBN4-8354-4180-X 【Amazon

収録作:夢でない夢/四郎の夢/土曜日の終り/夜の少年たち/月夜のふくろう


『夢でない夢』は1970~71年に雑誌『話の特集』に連載(最後の一話は単行本書き下ろし)。『四郎の夢」』は1971年にカネボウのPR誌『ベル』に連載されたそうです。
作者が巻末で触れていますが、どちらも『オレンジ党と黒い釜』から始まるオレンジ党のシリーズや『光車よ、まわれ!』の先駆的作品。
あとの3篇は大学生時代に書いた童話なのだそうで、青くささは否めなかったです。
1973年に大和書房から刊行されましたが、その後絶版。ブッキングから、初版当時のままの装丁と挿絵で復刊。

夢でない夢
黒い鳥の化け物クロムに、家族をさらわれた子どもたち。母親を連れ去れた一郎は、父親と妹ケイ子と一緒に、居場所を転々と移して暮らしていた。
一郎は、清子が率いる6年G組の仲間たちと共に、クロムの居場所を突き止めようとする。
一郎たちは、クロムたちが町を行き来するために利用する、ある短い時間だけ現れる「竜の道」に飛び込むのだが・・・。

********************

なぜかやたらと敵のことに詳しいリーダーの清子。なぜかさらわれてゆく家族。そして異界から現れる敵と戦う子どもたち。対立する子どもたちのグループ・・・。オレンジ党シリーズなどに引き継がれているパターンですが、この作品がプロトタイプなのでしょうか。
しかしこの作品では、クロムとは何なのかは判然としません。そのあたりを発展させたのが後期の作品となったのでしょうか。

天沢作品において、水は異界そのもののように思われてならない。水は異界への通路であるが、異界そのものなのですね。それはなぜなのだろう。作者にとってどんな意味があるのだろう。

四郎の夢
四郎はB組の桃子に呼ばれ、桃子の父親ががおかしくなったと告げられる。その桃子が化け物たちにさらわれた。
四郎は桃子を助けようとするが、そこで目を覚ました。
翌日から、桃子は学校に来なかった。夢ではなく、桃子は化け物に囚われているのだ。
キノコ村、ばけもの林へ出向く四郎。夢の中で事態は進行してゆく。やがて四郎の前に、三つ目蛇の化け物が現れて、桃子と結婚するのだと言う。

********************

夢なのか現実なのか、奇妙な狭間で展開する物語。四郎の目が覚めると、事態は確かに進行している。目覚めているときの目に見える世界だけが現実なのではなく、夢もまた現実だということなのでしょう。

土曜日の終り
土曜日の午後、クラスの反省会で文夫は、優等生で学級委員の和田英一がいかがわしい映画館から出てきたことを告発した。
文夫と和田英一はどちらもずば抜けて勉強ができるが、互いに話すことはなく、みんなに好かれるのは和田くんだった。実は文夫は英一に憧れていて、彼と親しくなりたかった。

********************

優等生の意外な真実の姿。頭がよくて人望があって、でも裏では不良(と言うより非行)の和田英一。それって二重人格では・・・。
文夫は和田くんと親しくなれて、実のところ喜んでいるわけです。良い子だけでいることはできない、そんな鬱屈した思いがあるのかも。
自分とは違う人、自分にはできないことをやってのける人に憧れる気持ちはわからなくはないのだけれど、やりすぎでは。
この事件をキッカケに文夫が変わったことが、ラストの一行で巧く表されていました。

夜の少年たち
秋の夜、三番街の十字路に少年たちが集まった。その中にはイジーロの姿もあった。
少年たちは七番街を襲撃するために向かう。イジーロは、みんなを指揮する隊長のカーロと一緒に歩いて行った。
イジーロはカーロのことを訊く。母親が入院していたからだ。そして以前にカーロからもらった草の実が、赤い花を咲かせてことを話す。
襲撃後、みんなは散り散りに逃げ、イジーロは仲間とはぐれてしまう。そのときカーロは・・・。

********************

ラストは読んでいる方が気恥ずかしくなるほど青い、青すぎる。これ、マジっすか。
イジーロのモデルは、宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』のジョバンニですね。
カーロのキャラというか全篇の雰囲気というか、どことなくジェームス・ディーン主演の映画『理由なき反抗』を思い起しました。
でもやっていることはセコイというか、考えなしというか。「なぜ、なんのために?」と思ってしまいましたよ。自分たちだって困るだろうに。カーロ、気取っているわりにやることが幼稚すぎ。

いまはこういうのを書く人はいないでしょうね。それは子どもを含む社会全体が、あまりにも複雑になり、犯罪が凶悪になりすぎたからだと思うのです。そう考えると、昔の世の中はいまより良かったのかも。

月夜のふくろう
月夜、二十一羽のふくろう狩猟隊が集まっていた。ところが、隊長のゴギノがまだ現れない。
やっと現れたゴギノは、今宵限りで狩猟隊を解散したいと言い出す。狩られる側の野ねずみやリス、小鳥たちにも命があり、みんな平等に生きる権利はあるのだと。
長老ゴレルは、代々の隊長もゴギノと同じように悩んだという。しかし、自分たちは小動物を食べなければ生きていけない。木の実や蜜を食べるようにはできていないのだ。
長老が率いて狩猟隊は飛び出すが、みみずくの群れが縄張りを荒らしている現場に遭遇。両者の戦いが始まった。

********************

こういう童話も書いていたんですねえ。ストレートでとてもわかりやすい内容。でもオリジナリティはあまり感じなかった。
要は原罪についてなのですが、私には宗教的なバックボーンはあまり感じられませんでした。それが受け入れやすさであり、同時に深みに欠けるような。

ラストでの死は、作者の若さゆえ。作者がもっと齢を重ねていれば、こういうラストにはしないのでは。読む側もある程度の年齢であれば、このラストは若いなあと思うのではないでしょうか。
私はこういうふうに簡単に死を選ぶ話はあまり好きではありません。生の矛盾を問うのならば答えが出なくても問い続けるべきであり、問い続けることが大事ではないかと思うからです。そのためにこそ、作者は生かすべきだったと思うのです。(2006/4/22)

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