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ソラリスの陽のもとに/スタニスワフ・レム

ソラリスの陽のもとに
スタニスワフ・レム

My評価★★★★

訳:飯田規和
ハヤカワ文庫SF(1977年4月)
ISBN4-15-010237-6 【Amazon
原題:SOLARIS(1961)


地球の2倍ほどの大きさだが酸素はなく、惑星のほとんどが海で、陸地の総面積はヨーロッパより少ない惑星ソラリス。発見されて以来、研究されてきた惑星。
ソラリスの海は、人類の理解を越えた作用を引き起こす。惑星調査以来、学者たちは様々な学説を立てて論じ、それらは膨大な資料となるが、どれも決定打とはならなかった。
仮説には、海そのものが思考力を持つ無生物である。たんにエネルギー反応を起こしているだけだともいう説がある。

科学者ケルビンは、ソラリスの観測ステーションへ降り立った。
ステーションで彼が見たのは異様な乱雑さと、恐怖のために茫然自失となったスナウト博士だった。
サルトリウス博士は部屋に閉じこもりきり、部屋から出ようとせず、誰も入れようとしない。ケルビンの知人ギバリャン博士は自殺していた。
ギバリャンはなぜ死んだのか、スナウトとサルトリウスの不可解な言動の理由は?スナウトは、ケルビンの元へも「お客」が来ると言うが、お客とは!?

********************

映画『惑星ソラリス』(1972年、旧ソ連)の原作。
ソラリスの海の擬態などは、小説として読むより映像で観たいと思いました。タルコフスキー監督の映画を観たいです。全般的に、映像で観た方が楽しめるんじゃないかな。

科学者たちのところへ来るお客の正体は、初めの方で大体検討がついてしまいました。お客の正体は何か、なぜソラリスはそんな現象を起こすのかという謎がについては、ある程度読む側の判断に委ねられます。
肝心なのは正体が何なのかではなく、それに人間がどう対応するかではないでしょうか。
ソラリスの海は人々の欺瞞・露悪・限界を突きつけるのです。それはまるで人間を試すかのよう。何をもって人間というのか、人間的存在とは何なのかと、問いかけているかのようです。とても哲学的な作品。

お客は初めのうちは空虚な存在なのですが、次第に人格や自主性を持ち始めます。
私が疑問に感じたのは、遺伝子レベルの記憶(本能)は再現できても、経験から成る後天性の記憶は再現できないと思うんだけど。媒体の記憶から構成されるとしても、ある程度は媒体の性向に影響されるんじゃないかな。だから完全に独立したオリジナルな人格を形成し、且つオリジナルな感情を持つことはできないと思うのですが・・・。
お客が媒体の記憶から形成されるということは、媒体の脳を刺激して活性化させるパルスを送り続けていることだと思うのだけれど、ステーションという性質上、電磁波を遮断するぐらい朝飯前じゃないのかなあ。
ニュートリノに関してはまったくの門外漢ですが、素人にも時代の差が感じられました。科学的にはいろいろと時代の差を感じますねえ。でも、1961年に発表された作品だから仕方ない。
そもそも科学的な部分は重要視しなくていいと思うんです。この作品、肝心なのは科学的な部分ではないのだから。(2003/1/23)

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