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予告された殺人の記録/G・ガルシア=マルケス

予告された殺人の記録
G・ガルシア=マルケス

My評価★★★★☆

訳:野谷文昭
新潮文庫(1997年12月)
ISBN4-10-205211-9 【Amazon
原題:Cronica de una muerte anunciada(1981)


ふらりと町に現れたバヤルド・サン・ロマン。彼は全盛期の内戦の英雄である将軍を父に持っていた。そのバヤルドと、町娘アンヘラ・ビカリオの婚礼が町をあげて行われた。
アンヘラはバヤルドとの結婚を望んでいなかったが、彼女の意思は尊重されなかった・・・。

婚礼の翌朝、司教を迎えに出かけた裕福なアラブ系移民の父と、由緒ある家柄の母を持つサンティアゴ・ナサール青年が殺された。犯人はアンヘラの兄たちパプロ・ビカリオとペドロ・ビカリオで、彼らは町中の人々にサンティアゴを殺すことを言いふらしていた。なので町中のみんながサンティアゴが殺されることを知っていた。なかにはサンティアゴに注進しようとする者もいた。
事前に充分すぎるほど犯行が予告されたにも関わらず、サンティアゴは殺されてしまった。一体なぜ!?

20年以上もの時が経ち、サンティアゴの親友でビカリオ家と親戚でもある私は、当時の人々の証言を集めて事件の全貌を明らかにする。

********************

神話的でもある『百年の孤独』『族長の秋』より後年に書かれ、両著と異なってリアリズムに徹した作風。
作風こそ違えども、凝縮された時空間と崩壊の予兆を秘めた閉鎖的な共同体という特色が顕著で、構成の巧さも相まり、ガルシア=マルケスの入門書として推したいですね。ガルシア=マルケスの作品を初めて読むには、内容的にも長さ的にもちょうどいいと思います。

訳者あとがきによると、作者とその家族が住んでいたスクレという田舎町で、1951年1月22日に起った事件をモデルにしており、事件に関わっていた身内や知人、関係者が故人となってから小説として発表。
作者はジャーナリスト出身らしく、<私>という中立的な立場の人間を据え、事件の資料を提示させています。そして関係者の証言から、事件の全貌が複眼的に浮かび上がる仕掛け。
証言からは、まず閉鎖的な共同体が感じられました。そして水面下にある民族間の対立感情。ビカリオ家にみられる因習に縛られた人々。待ち望んでいたが不発に終わった司教の歓迎への不満等々。

私が思うに、事件が起こったのは「祝祭空間」とでもいうでしょうか、特殊な状況下による「場」だと思うのです。祝祭とは、一つには婚礼という祝いの儀式と、司教から人々にもたらされる祝福もしくは懺悔による浄化の儀式。
原始的な祭りには、婚礼などめでたい陽の場と、山羊や羊などの生贄という血生臭い陰の場がつきものだと思うのです。生贄は人間の罪や災難を代替するもので、生贄を捧げることによって人々は浄められる。
しかしキリスト教の普及や文明化によって生贄は廃止され、贖罪という観念は聖職者への告解へと変わったのでは。
本来は、司教によって人々の負の感情が浄化されるはずだった。ところがそれが行われず、無意識に民衆は新たな生贄を求めざるを得なくなった。民衆の抑圧されたフラストレーションを解放しなければ、共同体を維持することは難しい。その条件を満たしていたのがサンティアゴであり、彼は格好のスケープゴートといえるのではないでしょうか。
なんだかんだと考えると、民衆へのキッカケを作ったのは司教なのでは・・・。

長い時を経て、老いて再会したアンヘラ・ビカリオとバヤルド・サン・ロマン。
バヤルドを男性型社会の象徴とすれば、アンヘラは男性型社会に抑圧された女性の象徴のよう。しかし再会した二人の関係は対等に思われます。いえ、アンヘラはバヤルドを包み込んでいるかのような。アンヘラに訪れた変化は、時代と社会そのものの変化ではないのでしょうか。
その後、その二人はどうなったのか。書かれなかった二人の物語が気にかかります。(2002/1/5)

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