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愛その他の悪霊について/G・ガルシア=マルケス

愛その他の悪霊について
G・ガルシア=マルケス

My評価★★★★

訳:旦敬介
新潮社(1996年5月)
ISBN4-10-509007-0 【Amazon
原題:DEL AMOR Y OTROS DEMONIOS(1994)


1949年、サンタ・クララ修道院の地下納骨堂から、22メートル10センチもの長さの頭髪を持つ遺骨が発見された。
およそ200年前の遺骨らしい。名前はシエルバ・マリア・デ・トードス・ロス・アンヘレス(すべての天使のしもべマリア)。
作者はその遺骨と、子どものころに祖母から聞いた、狂犬病で死んだ長い髪をひきずる12歳の侯爵令嬢の伝説を元に書き上げたのだそうです。

植民地や奴隷貿易時代のラテン・アメリカ。シエルバ・マリアは、落ちぶれた侯爵の父親と、その妻ベルナルダとの間に生まれた混血。父親と母親は一人娘のシエルバ・マリアに無関心で、奴隷に育てさせていた。
アフリカ人奴隷によって育てられたシエルバ・マリアは、いくつものアフリカ語を話し、アフリカ人の風習に親しんで育った。

ある日、シエルバ・マリアは市場で狂犬に噛まれる。
幾日経っても狂犬病の兆しは見られなかったが、突如父性愛に目覚めた侯爵は、幾人もの医師を呼び付けて、種々の治療を施させる。しかしシエルバ・マリアは、治療に抵抗して狂乱してみせた。
少女の奇怪な言動を聞きつけた司教は侯爵を呼び付けて、シエルバ・マリアをサンタ・クララ修道院に収容させた。修道院でシエルバ・マリアは、悪魔憑きと判断されて身柄を拘束される。
司教によってシエルバ・マリアを任されたカエターノ・デラウラは、初めは少女を恐れ、そして惹かれてゆくのだが・・・。

********************

狂犬病による錯乱が悪魔に憑かれたと信じられていた時代。シエルバ・マリアはアフリカ人の信仰に親しんでいたこともあり、司教や修道院長らによって悪魔憑きにされます。自分たちに理解できないことは、すべて悪魔の仕業としていた教会の犠牲者となるわけです。
布教という名目の元に、植民地の人々を支配する教会。自分たちこそが唯一絶対であるとする教会の傲慢さに、読みながら憤りを感じました。
政治的な支配力は即信仰を奪わないが、宗教による信仰の弾圧は、政治経済的支配よりもタチが悪い。
神々しさと、反抗心からくる凶暴性を併せ持つシエルバ・マリア。蒙昧無知な人々の犠牲となった少女は、何の犠牲になったのか・・・。

本当の悪霊とは何か。それは無知からくる恐れ、理解できないことを排斥しようとする狭量さではないでしょうか。
しかしデラウラに見られるように、愛もまたその盲目さにゆえに己を失う毒でしかないのです。
シエルバ・マリアの神々しさと悪魔的さ、デラウラの信仰と侯爵の憎しみが愛に変わるとき、司教の善き行いが破滅をもたらすとき。極から極へ変移するわけですが、それらの差異は紙一重でしかなく区別がつかないかのようです。

人種的にも信仰的にも抑圧される植民地の人々。支配する側の末端である侯爵とその妻は、自ら行く末を失い自滅していく。
どこにも行き場がなく何が真実かもわからず、有効な改善策を見出せない閉塞感が膨れる社会。シエルバ・マリアはそんな社会的抑圧を一身に受けていると言えるのでは。
少女は殉教者か、それとも犠牲者か?意見が分かれるところかもしれません。私としては殉教者だと思います。そう思わないと暗澹として救われないから。
こう書くと陰鬱な作品と思われるかもしれませんが、ラストは儚く清らかなようにも感じられました。ただ、人によって作品の受け止め方が異なるかもしれません。(2002/2/2)

追記:2007年8月、新装新版が刊行されました。【Amazon

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