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リトル、ビッグ/ジョン・クロウリー

リトル、ビッグ
ジョン・クロウリー

My評価★★★★★

訳:鈴木克昌
国書刊行会(1997年7月,全2巻)
I巻:ISBN4-336-03580-6 【Amazon
II巻:ISBN4-336-03581-4 【Amazon
原題:Little,Big(1981)


スモーキィはドリンクウォーター家のディリィ・アリスとの結婚するために、ドリンクウォーター家のエッジウッド邸へやって来た。一族にまつわる歴史が語られるが、影には妖精の存在があった。
ドリンクウオーター家は祖母の代から妖精との交流があり、一族にはどういう形でかはわからないが「物語」が知られており、物語のほんの一部はカードによって知ることができた。だがそれは言葉にならない物語なので、誰も口にして説明することができず、誰もが暗黙のうちに妖精の存在を示唆するのみ。

2巻では妖精の取り替え子ライラックが登場し、物語が回転し始める。スモーキィの息子オーベロンが若者らしい功名心からエッジウッドを出て、シティの旧約農場に住む。
オーベロンはそこでシルヴィーと出会う。シルヴィーは親戚からチターニアというあだ名で呼ばれることもあった。またシルヴィーの兄ブルーノも登場。

神聖ローマ帝国皇帝フレデリック・バルバロッサが800年の眠りから目覚めたことによって、人間界と妖精界の境界が揺らぎはじめ、妖精界が存続の危機に陥る。妖精界を存続させて物語を続けるために、一族はエッジウッド邸を後にする。

********************

世界幻想文学大賞を受賞作。アーシュラ・K・ルグインに、この一冊でファンタジーの再定義が必要になったと言わしめた作品なのだそうです。
エッジウッドのドリンクウォーター一族、そしてシティの旧約農場の日常が地道に構築され、ほんの少しづつ妖精の存在が暗示されます。地味な日常生活の構築によって、妖精界がどれだけドリンクウォーター家に浸透しているのか、次第に緊密さを増していきます。
1巻はテンポが遅くこれといった大事件が起こらないので読むのにとても苦労しましたが、読み進むうちにディリィ・アリスや妹のソフィーとともに、いつの間にか妖精の存在を信じている自分に気づきました。
日常生活の隙間にチラチラと暗示される妖精の姿は、ハッキリと姿を現さないだけに神秘性や幻想性を増しています。

ルイス・キャロルの『シルヴィーとブルーノ』や赤ちゃんを運ぶコウノトリなどの遊び心がにくいですね。
まさらにオーベロンとチターニアが登場。この名前がラストを暗示しています(と言えば少々見当がつくのでは)。私はラストにおいて、ジョヴァンニ・ベルリーニの絵画『神々の祝祭』の饗宴を思い浮かべました。森の中でギリシアの神々の祝祭(饗宴)を描いたもので、祝祭ではあるけれども静謐な絵なのです。

この作品は感覚ではなんとなくわかるのですが、私には巧く言葉で説明することができないし、あらすじを辿っても良さが全く伝わらないため、読んでもらうしかありません。
私としては面白いのですが、面白いと言うのは笑ったり、ワクワクドキドキ、ハラハラしたりするのではなく、作品における世界と時間の構造が独特なところ。その構造が一読しただけではわかりにくいのですが・・・。

作者は登場人物の口を借りて、何度も二つの世界と物語のあり方を説明しています。特にスモーキィによる太陽系儀の運動の仕組みによせて、二つの世界のあり方をハッキリと明示しているのです。この仕組みで考えると、二つの世界は匙加減によってどちらか一方へ傾くことになるのかな。
でも人間界と妖精界という世界が二つあるのではなく、世界は一つしかなく様相が異なるだけで、平面ではなく立体として考えるとわかりやいすかも。ある位置から見た場合と別の位置から見た場合、位置を変えるだけで同じ一つのものが全く違うものに見えたりします。そう考えるといいかと思われます。
変化は閾と閾値の関係でしょうか。スモーキィのように運動として捉えた場合、二つの世界は一瞬の運動によってバランスを取り戻す。ストーリーは運動の準備のためにほとんどを費やしているわけですよね。

登場人物たちは、自分では意識していなくても実際に運動に従事する人。そして妖精は、自分たちだけでは運動を起こせないので、それとなく人間を指揮する立場。運動によって妖精と彼らの俗する世界が、存在もしくは活性化することができる、ということでしょうか。
ここでややこしくなるのが人間と妖精の時間の流れ方の違いで、人間にとっての未来は妖精とっての過去なのです。だから未来はすでに決定していることになる。
この時間の流れ方がキーポイントで、結局のところ世界と時間のあり方はメビウスの輪ではないでしょうか。また運動前の世界と運動後の世界は位相に属するように思われます。ややこしい。

タイトルの『リトル、ビッグ』ですが、訳者はあとがきで評論家ディヴィット・プリングルの言葉を紹介しています。ですが私には相対的な大きさよりも、むしろ観念的・心理的な気持ちの持ち方を表しているように思われるんですよね。
心理的に大きく感じたり小さく感じたり、遠く感じたり近く感じる、それが妖精界であり人間界ではないでしょうか。しかしその世界もまた、大いなる世界の部分でしかないのです。(2001/4/23)

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