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イン・ザ・ペニー・アーケード/スティーヴン・ミルハウザー

イン・ザ・ペニー・アーケード
スティーヴン・ミルハウザー

My評価★★★★★

訳:柴田元幸
白水uブックス(1998年8月)
ISBN4-560-07123-3 【Amazon
原題:In the Penny Arcade(1986)

収録作:アウグスト・エッシェンブルク/太陽に抗議する/橇滑りパーティー/湖畔の一日/雪人間/イン・ザ・ペニー・アーケード/東方の国


アウグスト・エッシェンブルク(August Eschenburg)
19世紀プロシアのミューレンブルクの町に住む、時計作りの職人の父を持つ少年アウグスト。彼は幼くから時計の歯車に親しんでいた。だが時計だけでは満足できず、自分で自動人形を作り始める。
その才能を見込まれてスカウトされ、新生帝国の首都として華やぐベルリンで、エンポリウムのウィンドウを飾る自動人形の製作に専念。
彼の作った自動人形たちは、その優雅で巧緻な動作で人心を魅了した。だがライバルが現れ、ライバルの作る粗雑だが猥雑な自動人形が、アウグストの作るものよりも大衆受けする。
やがてエンポリウムを辞めたアウグストは田舎に戻り、独りコツコツと製作に励む。そんな彼の前にハウゼンシュタインという青年が現れた。
ハウゼンシュタインから、パトロンになるから自動人形の劇場を作らないかともちかけられる。

********************

モロ私好みの傑作中篇!アウグストの作る自動人形は彼の芸術の結晶。しかし19世紀という時代の風潮からは遅れているんですね。
19世紀初頭という、大衆文化の花開いた時代には、真に芸術的なるものは理解されずに衰退してゆくようです。それでも大衆に媚びず、ひたすら己の芸術を追求するアウグスト。彼の作る自動人形は至高の芸術作品。
アウグストとハウゼンシュタインの人形は、どちらもエロティシズムを追求しているような気がします。ただし、エロティシズムをエロティシズムのままにするか、それを芸術として昇華するかの違いがあると思いました。
大衆が求めるものは、博物館に飾るような芸術ではない。しかも移り気で、目新しいものへ次々と惹かれてゆくのですが、そんなところに作者の皮肉が感じられるような気がしました。

ミルハウザーの描く執拗なディテールの積み重ねによる巧緻で緻密な世界は、読み進むうちに暗闇に蠢くベルリンを遊離し、夢幻へと誘われる。しかし、その夢幻もまた薄闇で燐光を発しているかのよう。
アウグストの自動人形たちは決して昼間の光ではなく、魔術めいた夜というヴェールに包まれおり、どこか蠱惑的な雰囲気を湛えています。
よくよく読むと曖昧で眩惑的なところはないのに、読後は幻想的に感じるのはなぜなのだろう。

太陽に抗議する(A Protest Against the Sun)
8月も終りに近づいた休日、エリザベスは両親と浜辺に行く。それは完璧な日だった。だが夏だというのに、黒いパーカを着て黒い瞳に怒りを滾らせた少年が現れて、エリザベスの満足感は一変する。
両親にはわからなかったが、エリザベスには少年の怒りと憎しみと、全てに対する嘲りがわかった

********************

エリザベスは、何かが変わろうとしている、いまのままではいられないという予感がしているんです。それは少女から大人へと変わる季節だから。
変わることへの慈しみと憎しみ。それらは正反対に表出しているのですが、根は一つ。そりことをエリザベスだけが理解しているのだと思います。

橇滑りパーティー(The Sledding Party)
橇滑りパーティーに集まった若者たち。キャサリンは蛍雪の夜を堪能してピーターと滑りを楽しむが、突然に告白されて途惑う。
彼女は仲間たちから一人離れ、木の洞の中で考えに耽る。ピーターの一言によって、これまで満足していた世界が、姿を変えようとしているかのように感じていた。
しばらくして彼女が部屋に戻ると、そこには楽しげな彼女の仲間たちがいた。

********************

ミルハウザーの描く夜は、触感や嗅覚を刺激する。この短篇では、つんとした夜の雪の匂いが鼻腔をくすぐるかのようでした。
いつまでも友達同士ではいられない。ふいに訪れた変化に途惑うキャサリン。キャサリンは変化を自分から締め出そうとして、仲間たちとの世界を愛しむ。
明るく微笑ましいラストなのだけれど、キャサリンは自分の世界を守るため、自分自身が変わらないないために、周辺世界を閉ざして締め出すのが印象的でした。

湖畔の一日(A Day in the Country)
36歳のジュディスは、多忙な仕事のスケジュールを割いて、自然溢れるマウンテン・ロッジで休暇を取っていた。ロッジには様々な宿泊客がおり、皆楽しげだ。
だが一人、黒いセーターにダークブルーの巻きスカート姿の陰気な女がいた。活発なジュディスは陰気な女を敬遠しながら、自然観察とハイキングにいそしむ。
だが眠れない夜、本を返しに図書室に行くと、その女がいた。

********************

旅先での陽気な開放感から一転して、ひとり旅の孤独を実感する。孤独であることの不幸と、不幸に蝕まれていたことを知ったがための不幸。というよりは、失ったものと、これから失うであろうものを想って嘆く。
そんなジュディスを落ち着かせる何気ない言葉。突然襲来した嘆きに、折り合いをつける強さとしなやかさ。

雪人間(Snowmen)
ある晴れた朝、目が覚めると外は雪景色だった。
僕たちは雪の積もった近所を歩き回った。そしてどこかの子どもたちが作ったであろう、雪人間たちをみつけた。僕らもそれぞれに雪人間を作る。
いつしか町には様々な雪人間、雪の動物、植物、宮殿、幻獣が溢れて、狂熱的な精巧さと想像力と悦びが漲っていた。しかし限界を超えようとするかのような想像力と歓喜は、強烈な緊張感を伴っていた。

********************

最初は雪人間という冬の風物誌だったのが、いつしか憑かれたように町を覆いつくす。種々の造形物は想像力の限界への挑戦。雪像作りという熱病が町を襲ったかのようです。読む側はあれよあれよと言う間もなく、雪の王国に囚われてしまう。
実のところ、作者のイメージが若干先行しすぎる感がしなくもないような・・・。でも、雪の王国を緊迫感にまで高めたのは流石だと思いました。
『アウグスト・エッシェンブルク』もそうですが、作者の筆は造形物が創作される過程を堪能できるのですが、それを崇めるのではなく、完成した造形物から与えられる影響のほうに興味を惹かれているような印象身を受けました。

イン・ザ・ペニー・アーケード(In the Penny Arcade)
12歳の誕生日、両親に連れられた僕は、2年ぶりにペニー・アーケード(遊園地)へ行った。僕は両親をベンチに残して一人で入った。
だかそこは2年前に来たときとは変貌しており、記憶にある神秘さのかけらもなかった。僕が憧れたものたち、忘れかけていたものたちは何処に行ったのか?
魔法と神秘に満ちたペニー・アーケードは失われてしまったのだろうか?


********************

読みながらペンキの剥げ落ちた木馬が記憶に甦りました。綿菓子がどんどん膨らんでいくのが不思議で面白かった子どもころ。幼いころの不思議の国は、いまは何処に行ってしまったのだろう・・・?変わってしまったのは遊園地か自分か?
主人公の僕はその答えを知り、真のペニー・アーケードを視る。表題作とされるだけあって、作家の特徴や原風景、心象風景がよく表われているように思います。

東方の国(Cathay)
金箔の全身に輝く翡翠の眼で、美しく鳴く十二羽の歌う鳥。すべて名付けられた雲。宮殿に点在する無数の砂時計。瞼絵に凝る貴婦人たち。訪れる者のない一画があるほど広大な宮殿に住まう、帝と宮廷夫人たち。その愛の妙技。
悲しみの十二似姿。言い伝えにある魔術師の技比べ.・・・。幻想のチャイナを断章として描いた短篇。

********************

「細密宮殿」という章では、宮殿の中にミニチュアの宮殿があるのです。その中には、目に見えないほどのミニチュアの宮殿があるという。細部の細部までのこだわりがいかにもミルハウザーらしい。
また物質として機能することと、それが精神的に作用することへのこだわりも感じられました。
「夏の夜」では静謐と調和という言葉が使われるのですが、静謐と調和とは、まさにこの短篇そのものだと思います。(2001/12/10)

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