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デューラー 自伝と書簡/アルブレヒト・デューラー

デューラー 自伝と書簡
デューラー(アルブレヒト・デューラー)

My評価★★★

訳・解説:前川誠郎
岩波文庫(2009年1月)
ISBN978-4-00-335712-5 【Amazon

目次:はじめに(付 書誌略)/[自伝]家譜,覚書(断章)/[書簡]ヴェネツィア通信,ヤーコプ・ヘラー宛書簡,その他の書簡/解題/図版解説/あとがき/オリジナル手稿所在先一覧/人名索引


ドイツ・ルネサンスを代表する画家アルブレヒト・デューラー(1471-1528)による、父母と兄弟姉妹のことの覚書は、晩年52歳時の1524年に書かれた。彼の父親も記録魔だったそうで、家譜は父親の書類が元になっているのだそうだ。
父親はハンガリー生まれで、後に金細工師となった。ドイツへやってきて、ニュルンベルクで、後に祖父となるホルパーの元で長らく奉公した。ホルパーの娘バルバラと結婚。非常に子だくさんで、バルバラは18子産んだという。けれど執筆当時、アルブレヒトを含めて生存していたのは3人だけで、多くが成人前に亡くなったという。

書簡のヴェネツィア通信は、ヴェネツィアに滞在して画業に励むデューラーが、幼なじみの親友でパトロンのピルクハイマーへ宛てたもの。第一信は1506年1月6日、若き日のデューラーの様子が知れる。文面が若々しく、画家としての意気込みが感じられる。
しかしすでに父親はなく、結婚しており大勢の家族を養っていかなければならず、旅費はピルクハイマーに借金してのものだった。ピルクハイマーとの軽口の応酬は軽妙で、文面からは生き生きとした若さと、少年時に読み書きの手習いを受けただけとは思えない、なかなかの文才が伺われる。全体的に500年前とは思えないほど、現代人の感覚と変わらないんですよ。

ヤーコプ・ヘラー宛書簡の第一信は1507年のもので、デューラーが注文を受けた絵の値上げを要求した手紙。ヘラーの書いた手紙がないので、デューラーが出した手紙だけで判断するしかないが、なかなかしたたか。
ヴェネツィア時の若々しい雰囲気とは、イメージが異なる。工房を構えて徒弟がいただろうから、養う人数は多かったはずだ。画家であるとともに、経営者としての手腕も求められるため、商人としてのデューラーが前面に出ているのだろう。

その他の書簡には、年金問題を解決するため、ネーデルラントへ旅するはめになるまでの経緯が記されている。『ネーデルラント旅日記』を補完する書簡なので、併せて読みたい。本書簡を読むと、皇帝マクシミリアン一世の威光が、ニュルンベルク市長及び参事会にはほとんど効力がなかったことがわかる。当時、皇帝が市民からどのように受け止められていたか、という時代の証言は貴重だろう。(2009/7/18)

ネーデルラント旅日記

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