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老舎珠玉/老舎

老舎珠玉
老舎(Lao She)

My評価★★★★★

訳:黎波
大修館書店(1982年12月)[絶版]
3098-230320-4305 【Amazon

収録作:茶館/龍鬚溝/西望長安


老舎(Lao She=ラオ・ショオ,日本語読みは「ろうしゃ」。1899-1966,中国)による戯曲集。
老舎は本名を舒慶春といい、清朝の光緒帝時代に、北京の満州旗人(正紅旗)の家に生まれた。つまり老舎は満民族。満州旗人は満州貴族で構成される、いわば皇城守備兵。貴族とはいっても給料は月三両のため、生活は苦しかったようだ。当時、物価は上昇していたが、貨幣価値はかなり下落していたらしい。
老舎の作品は、市井に生きる庶民の視点から当時の社会の在り方が書かれており、三篇を通じて中国の近代化史となっている。誰もが列強支配からの脱却と近代化、それに伴う混乱・激動の社会と無縁ではいられないのだが、読んでいると老舎には政治的な意図があったことが伺える。だが、あくまでも庶民の立場から語られるので、庶民派の作家なのだろう。
各篇とも原題は同じ。カッコ内は発表年。

茶館(1957)
時代背景は1898年の維新変法(戊戌の変法)の失敗から、列強支配、軍閥混戦、抗日戦争、国民党による支配、革命が暗示されるまでの約半世紀。世の中の変転と混乱がめまぐるしい。列強に支配される清国末、裕秦(ユイータイ)茶館の主・王利発(ワン・リーファ)は若いが目端が利いて、店を繁盛させていた。大家の秦仲義(チン・チュウンイー)は店を始め資産を売り、輸入品を食い止め国を富強たらしめるために、工場を作ろうとしていた。

時が経ち、袁世凱亡き後の内戦時代。北京の大茶館は次々に店を畳むなか、裕秦茶館は店の構えもやり方も当世風に変える。得意客だった旗人の常四(チャンスー)は、いまでは空きっ腹を抱えている。かつて太監(=宦官)の元へ売られた康祥子(カン・シュウンズ)は行き場を無くし、裕秦茶館に住み込む。王は店を守り続けるが、抗日戦争後は食べ物に事欠くほど。そんな王に、女衒の劉の倅が旨い話を持ち込む。
茶館に秦と常四がやって来た。志の高かった秦は、工場を売国財産として没収されてしまっていた。不公平を黙って見ていられなかった常四は、餓死した友だちの浄財を工面し、今度は自分の野辺送りのために紙銭を拾って歩いているという。そして王は・・・。

********************

中国近代戯曲の名作の一つと聞いたことがあるので、読んでみたかった作品。読んでみて、名作といわれるだけあると思う。政権交代や政策の転換、政治家の腐敗、社会の荒廃という時代に、良くも悪くもそれぞれ処し方で時代を生き抜こうとする人々。茶館の主・王は要領よく生きてきた。利己的ではあるが、道義にもとること、天理に背くことはしなかった。しかし、役人の専横に敵わない。王がとった行動は、最後の意地だったのか、憤りだったのか、それとも諦めだったのか。

この作品は、当時の市井の人々の様子がよく伝わってくる。庶民の与り知らぬところで物事が決定され、世の中は一向に良くならず、その日に食べる物もない有様。しかし庶民が全くの無力かというと、必ずしもそうとは思えない。それは、庶民が革命に向けて立ち上がりつつあることが暗示されているからだろう。
時代背景こそ過去の出来事となってしまったが、再開発に伴う住民の強制退去などが行われている(らしい)当代の中国にあって、充分に通じる内容ではないだろうか。

龍鬚溝(1951)
国民党の追放、人民解放軍によって北京が解放され、中華人民共和国が成立し、列強が中国から姿を消したころ。北京の東あたりにある龍鬚溝(ロンシュイゴウ)というドブは、悪臭ひどくゴミや小動物の屍骸が浮かび、雨が降れば溢れて危険だった。もちろん健康を害する。院子には便所も井戸もない。
人々はその日暮らしで、仕事にありつくのが大変な上、物価はうなぎのぼり。役人は税金ばかり取り立て、今度は衛生税を徴収しようとする。のさばっているのは役人とヤクザばかり。
輪タク屋の丁四(ティンスー)は、むら気で働く意欲に欠けていた。ふうてんは民間演唱芸人だが、顔役に痛めつけられてから舞台に出られなくなった。彼は力仕事で稼ぐことができない。そのふうてんのところへヤクザがやって来た!趙(チャオ)おじいさんは、ヤクザの意のままにさせじと踏ん張ろうとする。そのとき悲しい知らせが届く。
やがて北京が解放され、龍鬚溝に測量隊がやってきて、ドブの工事と水道の敷設に着手する。趙おじいさんは、やる気をなくした丁四を奮起させようとする。

********************

人情味に溢れる話。暗く悲しい事件が起こるが、最後には明るく希望に満ちている。庶民の心に灯った希望、それこそ当時の空気だったのではないだろうか。
人民解放軍は、毛沢東らの共産党によって作られた。今日、毛沢東と共産党の評価は微妙であるが、革命当初は理想をもって庶民に奉仕し、庶民もまたそれを受け入れて支持していたようである。ただし、趙おじいさんが新政府を信じているのと反対に、王おばさんは共産党に懐疑的だ。作者が新政府をどう思っていたのか。作者の揺れる気持ちが、趙おじいさんと王おばさんに表れていると思う。

西望長安(1956)
時代背景は、人民共和国の成立から二年後。各地の戦場へ出征し負傷した栗晩成(リー・ワンチョン)は、どこへ行っても英雄として扱われる。かつて栗と同じ職場にいたことのある荊友忠(チン・ユウチュウン)は、数年後に栗と再会。彼がペテン師ではないかと怪しむ。そんな中、栗は西安へ赴く。一方、公安庁は栗が反革命家ではないかと疑っていた。

********************

大きな事件が起こるわけではなく、比較的穏やかに解決する。一見してユーモラスでさえあるのだが、底に秘められたものは剣呑なように感じられてならない。栗は英雄になりすまし、官僚主義と役所仕事のいい加減さを突いて、巧く立ち回る。しかし、実は栗の知恵はあきれるほど稚拙なのだ。だが人々は英雄と信じて疑わない。絶対的な英雄視と、役所仕事の盲点を突いただけなのだ。
栗晩成の妻となった達玉琴(ダア・ユイチン)は、荊の言葉にまったく耳を貸さない。二人は、思想に問題があるのではないかという会話をする。「思想云々」というところがいかにも中国的だが、こういったことが次第に思想を統御しようという考えにつながっていくのだろうし、言論統制につながるのではないだろうか。
この作品が書かれたのは、民共和国の成立から七年後だが、この時点ですでに危険な兆候が伺えないだろうか。もっともこの国は、いまでも国政を批判すると受け取られる内容の本を発禁処分にするのだから、当時とどれほどの違いがあるのかと思ってしまう。また、反革命家狩りは共産党の対抗勢力を封じ、党は次第に独裁色を強めることになる。それがやがて紅衛兵を生む土壌となり、文化大革命へと突き進むことになる。これは穿った読み方だろうか。

1900年前半の清国・中国は、内外的に途切れることなく事件が勃発するのと、政権交代と政策の変転がめまぐるしいため、歴史を知ろうとすると頭が混乱してくる。そこで頭を整理するため、おおまかな出来事を書き出してみた。

1800年代の列強の支配、アヘン戦争、太平軍、日清戦争を経て、1899年に山東で義和団が蜂起。
1900年、八ヶ国連合軍(日・英・露・独・仏・米・伊・奥)が北京へ侵攻。このとき八旗兵である老舎の父親が戦死。老舎は母親の手によって、小羊圏胡同で育った。
1911年、辛亥革命がおこる。翌12年、清王朝が滅亡し、中華民国となり、袁世凱が臨時大統領に就任。
1914年に第一次世界大戦が起こり、1917年には中国参戦、同年にロシアで革命が起こる。
1918年、毛沢東が新民学会を設立。
1919年、五四運動(対日運動)勃発。同年、孫文が中華革命党を結成し、中国国民党へ改組。
1921年、共産党創立の第一回全国大会が開かれる。
1926年、蒋介石が国民党の実権を握り、翌27年に反共産党クーデターを起こす。
1931年、日本軍が上海に侵攻(9・18事変。日本では満州事変といわれている)し、翌年に満州国を設立。
1937年、盧溝橋事件が勃発、日本軍が南京を占拠(南京大虐殺)。そして抗日戦争(日中戦争)へ突入。
1948年、蒋介石が中華民国総統に就任。翌49年、人民解放軍が北京に入城、中華人民共和国が設立される。
1966年、文化大革命が起こる。同年8月23日、老舎ら作家・芸術家が連れ去られて暴行を受ける。翌24日、老舎は午前中に家を出たが、25日夜に遺体となって発見される。老舎の死因は未だ不明のまま。
1978年、老舎の名誉が回復された。

ちなみに老舎は1924~1929年に、教師として渡英している。帰国後は山東の大学に勤めた。作家となった後の1946年には、アメリカ講演旅行をしたという。

資料:陳舜臣『中国の歴史(七)』(講談社文庫),本書巻末の『老舎年譜』。(2006/3/23)

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