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つゆのあとさき/永井荷風

つゆのあとさき
永井荷風

My評価★★★

解説:中村真一郎
岩波文庫(1987年3月改版)
ISBN4-00-310414-5 【Amazon


田舎を飛び出して銀座のカッフェーで女給として働く君江は、店が終わった後にひっかえとっかえ客と付き合って、奔放な性生活を送っていた。だが身の回りで嫌がらせが起こり始め、君江以外は知るはずもないことが新聞に載った。
実は君江には何人もの男がおり、男たちにはお互いの存在を知らせていないが、新進気鋭の大衆小説作家・清岡進もその一人だった。

清岡は君江に他にも男がいるのを知っていて、君江に嫌がらせをして痛い目をみさせることで、彼女を独占できると考えていた。しかし君江は一向に素行を改めるふうもない。
清岡には内縁の妻・鶴子がいた。結婚していた鶴子は姦通によって清岡と一緒になったが、清岡との夫婦仲は疎遠になっていた。鶴子は自分の人生を見い出そうとする。
そうこうするうちに男の嫉妬の恐ろしさを知った君江は、かつて私娼をしていたときに世話になった男と再会する。そしてふと、田舎に戻ろうかと考える・・・。

********************

カッフェーで働く性に奔放な女を据えて、昭和初期の銀座の新風俗を描いた作品。
いまだ明治の名残りがある昭和初期について読みたかったのと、梅雨の季節なので題名に惹かれて読んでみました。
でも、解説によると『つゆのあとさき』という題名は、荷風が5月(1931年5月22日)の雨の日に脱稿したから付けられただけで、内容とは何の関係もないそうです。事実、内容にはまったく関係ありませんでした。ここまで関連がないと、唖然とするのを通り越して潔い。

永井荷風(1879(明治12)年- 1959(昭和34)年)が、明治の名残りを留める昭和初期(昭和6年)の風俗を、事細やかに描いているので臨場感があります。
銀座は賑やかなのですが、界隈を離れると随分と寂しげな田舎的風景が描かれていて、いまだ随所に江戸の名残りもある模様。
現代人にとっては、もはや目にしたことのない物の名前があったり、地名も現代とは変わっているので、多少想像しがたい部分もありました。そこが面白いのだけれど。
ちなみに君江の働くカッフェーとは、昼間から酒を出す会席所。指名以外、各テーブルには持ち回りで女給が付くそうです。

解説によるとこの作品は、自然主義的傑作として知られたそうです。荷風はゾラに傾倒していたそうですが、確かにゾラを彷彿させるところがありました。
しかし、私は自然主義の手法に疑問を感じています。そもそも何が「自然」なのかわからない。彼らの考える自然と、私の考える自然というものがまったく噛み合わないのです。まあ、いいんですけど。

現代人と変わらないのが夫婦間の問題。清岡と妻は夫婦仲が冷えているのだけれど、どちらも自分を悪く思われたくないから、自分から別れを切り出したくない。人によるけれど、そういうところはいつの時代でも変わらないのかもしれません。
荷風の描く君江と鶴子は、一見すると自分の意思で生きる独立心に富んだ女性のように思われるのですが、男から見た女性像ではないでしょうか。極端に言えば男あっての女性像でしかなく、どんなに自由奔放に見えても、男性上位社会から見た女性像としか思えないのです。

しかしこの作品の読みどころは、女たちではなく、男たちにあると思います。男の性と欲とダメさ加減を描いた作品。だが泥臭さはなく、サラリときれいに書いています。
作者がインテリゲンチャを嘲笑しているところもありました。私から見れば『珊瑚集』の訳業や、西園寺公望と親しかったことなどから(荷風には政治的な意図はまったくない)、荷風もインテリゲンチャの一人としか思えないのだけれど。
本作でいえば、男のダメさ加減をスマートに書いているところが、ノンシャランなようでいながら、既にしてインテリゲンチャではないのかと思うんですけどね。
要するに、私には荷風はなんか性格的に合わないような・・・。でも当時の風俗を知る上では、現実の様子を知ることが出来るので、とても貴重な資料だと思います。(2001/6/25)

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