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異端の鳥/イエールジ・コジンスキー

異端の鳥
イエールジ・コジンスキー

My評価★★★★★

訳:青木日出夫
角川文庫(1982年7月)[絶版]
0197-243301-0946(0) 【Amazon】
原題:THE PAINTED BIRD(1965)


1939年の秋、第二次大戦の勃発によって、東ヨーロッパの町で暮らす6歳の少年は、両親の元を離れて辺鄙な田舎の村へ疎開させられた。
だが養母が亡くなってことで、少年はパルチザンとドイツ軍から身を隠しながら各地を転々とし、労働の見返りとして農家に置いてもらう。
黒い髪に黒い瞳の少年は、ユダヤ人あるいはジプシーとして異端視され、各地の村人たちに憎悪される。少年は村々を逃げ回りながら、行く先々で残虐な暴力による迫害を受ける。大人だけではなく子どもたちも、少年に危害を加えた。
少年に意味無く犬をけしかける百姓、嬉々として家畜と交わる娘。教会へ集う人々の憎悪を帯びた少年は、彼らの虐待されて声が出なくなり、言葉を話すことができなくなった。

ある村で、カルムイク人の襲撃によって惨事が起こる。そこへソ連兵が到着して村は救われる。当初、村人はソ連兵とうまくやっていたが、しばらくすると諍いが起こった。ケガを負った少年はソ連兵に救出される。
1944年、ドイツの敗戦が濃厚となったころ、少年はしばらく行動を共にしていたが、やがて孤児院へ送られ、そこで生死の判然としない両親を待つことになる。だが孤児院も平和な場所ではなかった。

********************

イエールジ・コジンスキー(1933-1991)は、ユダヤ系ポーランド人。1957年の24歳時にポーランド・ワルシャワからアメリカへ亡命。以後は母国語を一切使わず英語をマスターして、英語で小説を発表。
原題の『THE PAINTED BIRD』は作中のエピソードからきています。鳥にゲバゲバしい色を塗って仲間の元へ帰してやると、その鳥は喜んで仲間の元へ帰っていくのですが、仲間の方はその鳥を異端視し、寄ってたかって嘴で突き殺してしまう。このことは髪の色と瞳の色が違うというだけで、残虐な行為を受ける少年を喩えてのこと。

良くも悪くも、好き嫌いも別として、慄然とさせられた作品でした。一種の反戦小説と考えることが出来なくはないのですが、どう受け止めればいいのやら・・・。これほど異様なまでに残虐さを描いた作品は、他に読んだことはないです。
少年がソ連兵に救出されるまで、嫌悪を感じずに読むことができませんでした。しかし、それでも救いがないのです!
とはいえ読んだだけのものではありました。内容が内容なだけに人には薦め難いのですが、読む価値が「ある」か「ない」かと訊かれたならば、「ある」と答えます。
なぜなら、村人たちのような悪意とは現われ方が異なれども、悪意というものが一片でも自分自身の中に、また、この世に存在していないと否定できないから。そして、おそらく事実は小説より奇なり、だと思うから。

理屈ではない、本能に備わった悪意と暴力性が剥き出しされていきます。ひたすら残酷・残虐な村人たちの姿は、迷信や無知と未知への恐怖とかのレベルを越えています。大戦による混乱や不安が村人たちを残虐行為へと駆り立てているということもあるのでしょうが、本来人間には獣の残酷さが備わっていると言っているかのよう。
何が人々をそうさせるのか?戦争の混乱?死への恐怖?人を人たらしめている秩序とは何なのか、と考えさせられました。
残虐さもさることながら、死が様々な形をとって繰り返されます。それは全く尊厳のない死。死は死でしかなく、物理的な意味以外ない・・・。

ドイツ兵やパルチザンから少年をかくまって逃がしてくれる人もいるのだけれど、ほんの少数でしかなく、そういった一部の良心的な人々の存在は、圧倒的大多数である残酷な村人たちの影に隠れて霞んでしまうのです。
ソ連兵の英雄ミトカは少年に親切にするのですが、このミトカの報復行動は、少年に決していい影響を与えないのです。

この作品を救っているのは、全編に漂う「静けさ」。かなりショッキングな内容なのに、最後まで読み通すことができたのは、全編を貫く静けさにあると思いましす。しかしその静けさとは、観察者としての主人公の視線に由来しているのです。
はじめ少年は相手の言葉を理解できなので話せなかったのですが、やがて言葉を解すようになります。しかし少年が村人と会話する部分はセリフとして書かれていないので、彼の肉声を感じることはできません。しかも後半で少年は、声を失って話せなくなってしまうのです。
少年の魂からの叫びが聞こえないのは、訳者があとがきで書いているように、つまり、少年はその当事者でありながら、常に観察者の立場に立たされるのである。(p290)だから。
そして物事は、少年の目と経験を通して解釈され直されます。解釈するための判断基準が、少年の経験によってでしかない、というのは大事なことではないでしょうか。

何が善で何が悪か。大戦中の混乱した社会、力が全てを治める社会において、倫理なるものは力の前に屈してしまう。どんなに論理的矛盾があっても、力のある者が正しいことになってしまう。
幼い子どもたちは、そんな社会状況の中でどんなふうに育つのか。一方には虐待されて逃げまどう主人公の少年であり、一方には大人を真似て少年を虐待する子どもたちがいるのです。(2003/5/23)

追記:2011年8月、松籟社(東欧の想像力7)から西成彦による新訳で、イェジー・コシンスキ『ペインティッド・バード』が刊行。作者による「後記」(1976年)を併録とのこと。【Amazon】。

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