スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

わたしのラベンダー物語/富田忠雄

わたしのラベンダー物語
富田忠雄

My評価★★★★

解説:中嶋朋子
新潮文庫(2002年6月)
ISBN4-10-129731-2 【Amazon


北海道の富良野といえば、ラベンダーで有名ですよね。富良野のラベンダー畑を紹介している写真集も数多くあるほど。
ラベンダーで有名な富良野ですが、ではどうしてなぜ現在のようになったのか、となると知る人は少ないのではないでしょうか。

この本は、富良野が現在のようにラベンダーで知られるようになった経緯や、世界各地のラベンダーファームについて、日本一のラベンダーファーム【ファーム富田】の富田さんが語るエッセイ集です。
写真集だと「ああ綺麗だな、行ってみたいな」で終わってしまうのですが、どうやって富良野がいまのようになったのか知ると感慨もひとしお。
ラベンダーに詳しくなくてもカラー写真が豊富なので、美しい写真を眺めているだけでも楽しい。例え外は天気が悪くても、ページを開けばそこはいつも涼やかなラベンダー畑。

化粧品香料の原料として香料会社が、北海道にラベンダーの種子を持ち込んで、まずは試験的に札幌で栽培したのが1940(昭和15)年。 1942(昭和17)年に、日本で初めてラベンダーオイルが抽出されたのだそうです。
その後に第二次大戦があり、本格的に栽培を始めたのが戦後まもなく。元々のキッカケが戦前から始まっていたとは驚きでした。
富良野の農家の息子・富田さんがラベンダーを知ったのは1953(昭和28)年、21歳のとき。実際に栽培を始めたのが1958(昭和33)年。以後、経済復興とともにラベンターを作付けする農家が急増。
しかし70年代になり、合成香料の進歩と輸入香料の増加によってラベンターでは生活できなくなり、多くの農家が転作し、富良野からラベンダーが消えていった・・・。それでも富田さんはラベンダーにこだわり続ける。
経済成長によって人々の生活が変化し余暇が生じると、メディアの発達により人々は富良野を知り、観光のために訪れるようになる。このことが現在の富良野へと繋がる。
第I部を要約するとこんなところ。富田さん一家の生計が苦しいときに、彼の母親にサシェの作り方を教えてくれた旅の女性など、富田さんの努力と情熱はもちろんですが、様々な人々との出会いによって現在の富良野があることを知りました。

第II部以降は世界有数のラベンダーの産地である南仏プロヴァンス、イギリス、タスマニア(オーストリラアから見て東南部に位置する島)のラベンダーファームへの富田さんの旅と、現地での同志との出会い。
特にプロヴァンスのルネ氏とは、言葉が通じなくてもラベンダーによってハートが通じるという話で、とてもいい関係だったんだなと微笑ましくて羨ましくさえあります。ラベンダーとは関係ないけれど、ルネ氏から聞いたプロヴァンス鉄道の話が私は好きです。

第VII部以降は日本でのラベンダーの現状、品種や栽培法について。富良野へラベンダーを見に行くには7月がいいそうです。6月ではまだ咲いていないし、8月は蒸留するために刈り取るから。
一生に一度は富良野に行ってみたい。美瑛には十勝岳連峰や田園風景を撮り続けているカメラマン前田真三氏の「拓真館」もあることだし。そのときの旅のお伴に最適な本。(2002/6/18)

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

H2

Author:H2
My評価について
=1ポイント
=0.5ポイント
最高5ポイント

最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
FC2カウンター
検索フォーム
リンク
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。