スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ライラックの花/ヴィルヘルム・ラーベ

ライラックの花
ヴィルヘルム・ラーベ

My評価★★★

訳:谷口泰
林道舎(1985年11月)
コード不明 【Amazon
原題:Holunderblüte(1863)


医師の私は、若くして亡くなった少女の部屋で、白と青いライラックの花と葉を編みこんだ造花の花冠をみつけた。
ライラックの花は、かつて亡くなった少女の想い出と結び付いていた。それは私が医師を志す前の青年時代のことであった。
両親を亡くした私は後見人の伯父によって、勉学一筋で自由のない少年時代を送った。ウィーンで学問を学び、それからプラーク(プラハ)へと移った。
ある日のこと、道に迷った私は、15歳ぐらいの少女に案内を乞うた。だが少女が案内したのはベト・ハイム(生命の家)ではなく、老婆たちを収容した救貧院だった。

帰り道を探していた私は、ベト・ハイムへ出た。ベト・ハイムは、ゲットーの壁になかに閉じ込められたユダヤ人墓地である。そこでまた少女と出会う。少女はイェミーマ・レーフといった。
門番の老人と親しくなった私は、オーストリア・ハンガリアの警察当局が外国人旅行者に課す、6クロイツァーの入場料を払わずベト・ハイムへ入れるようになる。
私はベト・ハイムでイェミーマと親しく会話を交わすようになった。

秋のある日、イェミーマは、ライラックの木の下にあるベト・ハイムの最後の埋葬者、踊り子マハラートの墓地を指して、これが自分なのだと言う。
イェミーマによれば、比類なき踊り子マハラートは伯爵の求愛を蹴り、民族の誇りをもって1780年に心臓の病で亡くなった。マハラートが太陽を見ることができた場所は、唯一ベト・ハイムだけ。マハラートは壁の外へ出ることがなかったからだ。
皇帝ヨーゼフは、マハラートを最後にベト・ハイムへの埋葬を禁じてユダヤ人街の壁を壊した。
イェミーマは心臓に欠陥があり、ユダヤ人街から出ることはなかった。イェミーマはマハラートと同じく、石壁の中でしか生きられないのだった。

年が明けた1820年の春、私は再びベト・ハイムを訪ねた・・・。

********************

ヴィルヘルム・ラーベ(1831-1910,ブラウンシュヴァイク公国(現ドイツ)生まれ)による抒情的な小説。
作者は生涯に68篇の作品を書き、そのうち長篇は30篇もあるそうですが、邦訳は少なくあまり知られていないような。
恋というほどではないけれど、淡い想いを抱く二人。二度と会うことのない男女。だからこそ主人公はいつまでも忘れることができずに、ふとした拍子に想い出すのでしょう。
ゆえにイェミーマは忘却の縁に追い遣られず、いつまでも想い出のなかで生き続けるわけです。

この作品は一見してはロマンチシズムと思われがちではないでしょうか。
傾向としてはロマンチシズムなのですが、完全にロマンチシズムと言い切るには、ちょっと違うのではないかと思うのです。
訳者は、後年の作風にみられる「諦念的リアリズム」「象徴的リアリズム」への萌芽を秘めている、と評しています。
私としては抒情性とリアリズムを両立させようとしているか、どちらを採るか決め兼ねているような印象が強かったです。
ゲットーの生活を描写したいのか、薄幸の少女を書きたいのか、判然としないように感じました。いずれにせよ観念的ではあるのですが。
そもそも作者はロマンチストなのでしょう。そうでなければゲットーを舞台としているのに、このような小説を書くとは思えないのです。どうしてもリアリティを感じないんですよ。
これは訳者のいうように、象徴的なゲットーなのかもしれません。
そう思う一方、この時代にゲットーを舞台としたロマンスを書いたということに、ちょっと驚きました。
この作品の発表当時、人種問題がどうであったのかはわかりませんが、何某かの社会的な意味を有しているのではないかと考えてしまいます。となると、たんなるロマンチストではないような。
ラーベがどのような思想の持ち主だったのか気になります。(2002/2/16)

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへにほんブログ村 本ブログ 海外文学へ

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

H2

Author:H2
My評価について
=1ポイント
=0.5ポイント
最高5ポイント

最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
FC2カウンター
検索フォーム
リンク
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。