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エルサレム解放/トルクァート・タッソ

タッソ エルサレム解放
トルクァート・タッソ

My評価★★★★

編:A・ジュリアーニ
訳・解説:鷲平京子
岩波文庫(2010年4月)
ISBN978-4-00-327102-5 【Amazon
原題:GERUSALEMME LIBERATA di Torquato Tasso:raccontata da Alfredo Giuliani:con una scelta del poema(1970)


エルサレム解放原題は「トルクァート・タッソの原文にアルフレード・ジュリアーニの語りを交えた長篇叙事詩抄」。

1099年、第一次十字軍の総大将ゴッフレードは天使ガブリエーレ(ガブリエル)からお告げをもたらされ、長びく戦い終止符を打つべくエルサレムに遠征。遠征軍は剣士タンクレーディ、美勇リナルドを筆頭とする志士たち。

ある日、タンクレーディは憩いを求めた泉のほとりで、武装姿の異教徒の女戦士を見た。その美しい容貌にタンクレーディは射竦められ、恋焦がれてしまう。女戦士はクロリンダといい、ペルシアの地からやってきたイスラム騎士だった。そうと知らないタンクレーディはクロリンダを探し求めるのだが、戦場で彼女と知らず戦い続ける。
一方、アンティオキア王の娘エルミーニアは、かつて異教徒の捕虜となったときにタンクレーディに恋してしまい、再び彼の捕虜となるべくキリスト教陣営へ向かう。

エルサレムのアラディーノ王(アッディーンのことでは。サラーフ・アッディーン、別名サラディン)に仕える魔術師イズメーノは、その魔術で十字軍を壊滅的な被害をもたらそうとする。
ダマスカスの領主は、姪の女魔術師アルミーダを十字軍の陣営に送り込み、十字軍勢を内側から崩壊させようとする。
アルミーダはその美貌と妖術で十字軍勢を分裂させるのだが、あろうことかリナルドを愛してしまう。彼女は妖術でリナルドを己の元に留めおこうとするのだが・・・。

侵略者に苦渋を舐めさせられ続けるトルコ人騎士ソリマーノは、最後の砦エルサレムで敵を迎え撃とうとする。孤高の騎士はエルサレムで何を見るのか。そして、宿敵同士のタンクレーディと猛勇アルガンテの最後の一騎打ち・・・。

********************

詩人・批評家アルフレード・ジュリアーニ(1924-2007)が、イタリア・バロック期の最大の詩人トルクァート・タッソ(1544-1595)の長篇叙事詩GERUSALEMME LIBERATA(1575)から約3分の1を選んで語りを交えたもの。
GERUSALEMME LIBERATAは受身形で、直訳すると「解放されたエルサレム」となるそうです。しかし日本語では語調が間延びするため、訳者はタッソの意図を推し量り「エルサレム解放」としたとのこと。この経緯は解説に書かれています。文庫の解説としては長い、けど詳しい。

文庫カバーはイタリア・バロック期の画家アンニーバレ・カッラッチ(カラッチ)による『リナルドとアルミーダ』。この他にも「解放されたエルサレム」における特に恋人たちのエピソードは、絵画やオペラなどで展開されているので、一度読んでみたい本だったのです。
しかもイタリア文学の古典五指に入るというほどの作品。なのだけれども、いままで翻訳本がなく、ようやく読めた。と言うか読みました。刊行時に購入してたんだけど、しばらくイタリア熱が冷めてたもんで。

エルサレムをめぐる戦いをベースに、キリスト教徒一の剣士のタンクレーディと異教徒の女剣士クロリンダ、タンクレーディに恋するエルミーニア、リナルドと女魔術師アルミーダたちの恋の行方。
ラブ・ロマンスあり、魔術あり剣戟あり、タンクレーディとアルガンテの一騎打ちあり。ドラマティックなエンターテインメイント性がありました。
こんなストーリーだったとは思いませんでした。史実とは異なるけどそれは脇に置いといて、面白かったです。
アルガンテとの一騎打ちは、ウェルギリウス『アエネーイス』を下敷きにしているんですね。その他、ダンテ『神曲』やアリオスト『オルランド狂乱(狂えるオルランド)』など、先行作品の影響を受けているそうです。

十字軍士が勝利を治める叙事詩ではあるのですが、この作品に光輝を与えているのは、奥深くに匿された作者の思想にあるのだと思います。
単純にキリスト教徒VSイスラム教徒の戦いとして書かれてはいないんですね。通低基音に作者のリベラル性が感じられるのです。タッソはキリスト教徒の勇士もイスラム教徒の勇士も同等に扱っている、いえ、どちらかといえばイスラムの騎士に同情的なのです。

解説によれば、タッソは自ら異端審問所へと赴いて検閲を求め、加筆修正したそうです。訳者は、教皇庁は細部に気をとられ、この作品が孕む危険性の本質には気づいていないようである、というように語っています。
確かに気づいていない。おそらく教皇庁はキリスト教的であるか、イスラム教的であるかという二者択一の視点しかなく、当時としてはあり得ないけれど、両宗教を等価値の視点からみることができなかったのではないか。
異端であるかどうか私には判じかねますが、当時のキリスト教徒にとって危険思想であることは間違いない。タッソは巧妙に書いてはいるけれど、解釈によってはキリスト教の教義を根底から覆しかねない要素を含んでいるのだから。
タッソは自覚していたのでしょう。だからこそ出版にこぎつけるため、自ら検閲を求めたのではないかと思います。

例えば、解説にもあるけれど「天」をどう解釈するのか。十字軍士が天というときと、イスラム教徒が天というとき、それは神を意味します。言うまでもなく、両者が仰ぎ崇める神はそれぞれ別個な存在のようでいて、同一の神に帰します。「ガブリエーレ」も同様に、一つの存在に帰すわけです。文脈からするとタッソもそのつもりで書いている様子。これらをどう考えればいいのか。
突き詰めていくと、「同胞」という言葉が浮かんできました。タッソがイスラム騎士に同情的なのはそうした想いがあるからではないか、という気がするのですが。
エルサレム陥落時のソリマーノをタッソは同情的に描写しているのですが、宗教を越えて同等の人間として扱っているのです、異端審問の時代に。そしてリナルドとアルミーダのラブ・ロマンスは、宗教を越えての和合でもあります。改宗は些か不自然なので、検閲をパスするために付け加えたのではないでしょうか。
文人としてあまりにも思潮を先取りしていたタッソ、キリスト教徒として宗教と時代性に捉われるタッソ。そうしたことからくる相克が彼の精神を蝕んだのかもしれませんが、反面、この作品に生気を与えているかのように思われました。

ジュリアーニによる語りは、ナレーションと言えばいいでしょうか。その語りはコンパクトながら非常に的確と思われ、スピーディで美辞。並々ならぬ才知と手腕が感じられました。ですが、できればタッソの原文を全訳で読みたかったです。
ジュリアーニの語りは確かに素晴らしいし企画の意図もわかるのだけれども、本文を読むのに興がのってきたところで現代的な語りが挿入されているので切り替えが必用となり、叙事詩の世界から引き戻される感があるんですよね。
それと、編者はポイントを抑えているのでしょうが、編集というバイアスがかかっていることは否めないと思うので、タッソの真意が奈辺にあったのか自分自身で判断しにくい。
残りが3分の2ほどしかないのなら、全訳でもいいのでは。訳者は全訳を考えているようですが。全訳で読める日がくることを期待します。(2012/6/16)

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