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灰色の輝ける贈り物/アリステア・マクラウド

灰色の輝ける贈り物
アリステア・マクラウド

My評価★★★★★

訳:中野恵津子
新潮社CREST BOOKS(2002年11月)
ISBN4-10-590032-3 【Amazon

収録作:船/広大な闇/灰色の輝ける贈り物/帰郷/秋に/失われた血の塩の贈り物/ランキンズ峠への道/夏の終わり


漁業と炭坑のケープ・プレトン島(『赤毛のアン』で有名なプリンス・エドワード島の隣り)で育った作者は、ほとんどこの島を作品の舞台としている。貧しくて厳しい自然の島で暮らす人々や、島以外の暮らしに憧れる若者を通じて、家族・親子の絆や死を描いた作品集と言えるだろう。厳しい暮らしのため、男も女も浮ついたところがない。人々は素朴で力強く、血の繋がりがとても濃い。彼らは力を合わせなければ生きていけない。

ほとんどが1970年代に発表された作品のためか、貧しい島暮らしの人々の生活を書いているからか、それとも家族の絆を扱っているからか、全体的に古風な感じがする。たぶん、核家族化が進み主要な地方都市が都会化して、この作品に書かれたような時代が遠く感じられるからだろう。民族性の違いもあるかもしれない。
読んでいる間より、むしろ読了したあとの方がよりジンときた。田舎で生まれ育ち、後に故郷を離れた人には、特に感じるところがあるのではないだろうか。
作品には子どもの視点で語られるものもあるが、子どもの気持ちになって語っているわけではない。歳を経て過去を振り返ったとき、島から離れることによって島のことがよくわかったとき、そんなときの気持ちが子どもを通じて語られる。つまり大人の心情で書かれているのだが、作者は誠実に書いていると思う。

アリステア・マクラウド(カナダ、1936年生まれ)はとても寡作だそうで、これまでに刊行された本は、短編集2冊(計16篇)と長編1作のみ。いまのところ、これで全作品となる。長編がカナダ圏で多数の賞を受賞し、ベストセラーとなったので、2001年に発表年代順に全短編集『Isalnd』が刊行されたという。
本書は『Isalnd』の前半の8篇が収録されている。作品は年代を追うごとに完成度が高くなり余韻が深まっているので、『Isalnd』の後半8篇と長編に期待できそう。また、この作家の長編はぜひとも読みたい。どちらも今後クレストブックスから刊行される予定だそうだ。以下に4篇のみ紹介。

船(The Boat.1968)
大学の教壇に立つ私は、いまでもときどき朝4時に目覚める。それは男たちが海に出る時間だった。漁師の父は本を読む。だが母は、本は生活の何の役にも立たないし、高校を通わずに仕事を手伝ってほしいと思っている。二人の姉たちは本を読み、そして都会へ行って結婚して豊かに暮らしているらしい。
私が15歳になった頃、父が老け込み寝込んでしまった。私は母と二人で解禁が近づいているロブスター漁の準備をする。だが父は私に学校へ戻るよう頼む。父は大学へ行きたかったのだ。しかし母にとって学校は必要なく、海こそが生活のすべてであり、一族は海に生きるべきだと思っている。

********************

貧しさゆえに、いまを生きることに必死の母親。貧しいがゆえに考え方の異なる夫婦。どちらがいいとか悪いとかは別として、夫婦の考え方の相違を通じて、貧しいということがどういうことなのかがわかる。そして海で暮らす男たちの苛酷さ。海は生活の糧をもたらすが、同時に死が潜んでいる。それでも海と生きようとする母親。
現代の私たちは移動が激しいから、一つの土地への執着が理解し難いんじゃないかな。それとも歳をとると違うのかな。私は実際に作中のような生活をしたことがないので、母親の海へのこだわりを完全に理解はできないけれど、なんとなくわかるような気がする。

灰色の輝ける贈り物(The Golden Gift of Grey.1971)
18歳のジェシーは成績優秀でいたって真面目な少年。いつも11時半にはアルバイト先から帰宅している。ジェシーはビリヤードの店を見て以来、キューを握ってみたくてたまらなかった。その店は酒も出し、21歳未満は入店禁止だった。
だがある日、意を決して店に入る。店には近所に住む父の親友コーデルさんもいた。カントリー・ミュージックがかかっていた。ケンタッキーから出て来たジェシーの両親は、いまでもカントリー・ミュージックを聞いている。
ジェシーはそんな両親が、いかにも田舎者のようで恥ずかしく思っていた。子どもである自分たちも田舎者だと思われるような気がするからだ。何度も出入しているうちに腕が上達し、あるとき賭けのメンバーに誘われる。ジェシーは勝って賭け金を手にするが、家へ帰る時間を忘れてしまう。

********************

ジェシーはカントリー・ミュージックを聴き、都会ではなくケンタッキーへ遠出する両親を田舎者と思って恥ずかしがる。ジェシーは郷里に対する両親の想いの片鱗に触れる。そして両親を田舎くさくて恥ずかしいと想っていた気持ちが変化する。そして彼なりに親を思い遣るのだが、方法が間違っていた。貧しくとも信念を持って生きる父母。この短編集全体に登場する親たちはみんな、信念と言うか自己の基盤を持っているのだと思う。

秋に(In the Fall.1973)
父は昔、夏は自分の農場で働き、冬の間は炭坑で働いていた。いまは冬になると出稼ぎに行き、春近くまで戻ってこない。母は父に出稼ぎへ行く前に、今年は余裕がないので老いた馬のスコットを売るようにと言い渡す。そして、すでに家畜商を呼んでいた。
父は馬を手放したくなかったが、世話をする余裕のないことはわかりきっていた。雨の中、家畜商のマクレイがやって来て、馬をトラックに乗せようとする。僕は父と弟デイヴィッドと一緒に、窓から見ていた。デイヴィッドは父にしがみついて、スコットを行かせないようと叫ぶ。

********************

雨が霙に変わり初雪となる。主人公の僕は、そんな天候と風に煽られて立ちすくむ両親を見る。それは、いまいる場所に踏みとどまるだけで精一杯、いまあるものにしがみつくだけで精一杯の夫婦の姿がとても印象的。
夫婦は先へ進めないので、未来への希望を子どもたちに託す。だからこそ両親は馬を売って、子どもたちを養おうとする。生命というもの、生きることの難しさとともに、それでも地に踏ん張ろうとしている逞しさが感じられた。
馬は財産なので、それを売るということは相当困っているのだろう。余談だが、馬は非常に利口な動物で人間の感情に敏感だし、自分が売られてゆくことがわかる。

夏の終わり(The Closing Down of Summer.1976)
マキノンの坑夫たち、開坑チームの男たちは7月7日に南アフリカに着いているはずだった。だがもうすぐ8月も終わろうとするのに、ケープ・ブレイトンの西海岸で日光浴をしていた。例年ならとうにハリケーンが来て、夏が終わり秋になっている時季なのだが、今年はいまだハリケーンがこないからだった。
男たちは夏の終わりを知らせるハリケーンが来たら出立することに決めていた。それまで何もせず思う存分陽を浴びるのだ。彼らはいつも死と背中合わせで仕事をしているからだった。多くの男たちが炭坑事故で死んだ。父も弟もそうだ。私もいつ死ぬかわからないが、それでも仕事に誇り持っている。
チームの男たちはゲール語に回帰してゆく。家庭では使わないが、坑内や浜辺ではなぜかゲール語が飛び交う。ゲール語で話すことは何を意味しているのだろう。やがて空から夏の終わりで出立を知らせるサインが送られてきた。

********************

この短編集の中ではいちばん気に入った作品。最後の詩は別として、変に感傷的でないところがいい。死と背中合わで、体にケガや変調をきたしながらも働き続ける坑夫たち。その従事した者以外には理解されないだろう誇りと哀しみ。死と感傷を振りきってハイウェイを飛ばす男たちの姿、しかし行く手には死が待っているかもしれない。まるでハードボイルドを読んでいるような気分になった。(2002/12/16)

冬の犬

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