スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

シェル・コレクター/アンソニー・ドーア

シェル・コレクター
アンソニー・ドーア

My評価★★★★☆

訳:岩本正恵
新潮社CREST BOOKS(2003年6月)
ISBN4-10-590035-8 【Amazon
原題:The Shell Collector(2001)

収録作:貝を集める人/ハンターの妻/たくさんのチャンス/長いあいだ、これはグリセルダの物語だった/七月四日/世話係/もつれた糸/ムコンド


アンソニー・ドーア(1973年生れ,アメリカ)のデビュー短篇集。
登場人物は14歳の少女から68歳の老人までという、幅広い世代の人物を丁寧に緻密に書いています。この歳でこれだけ書けるとは驚き!詩情漂う文章はもとより、鮮烈なビジュアルさを喚起させる筆力は大したものです。
人物もそうですが、自然描写も丹念な観察眼の積み重ねによって描かれている印象を受けました。世界の各地が舞台になっているのですが、各地の文化と暮らしにも視線が注がれていると思います。大国アメリカの価値観に捕らわれず客観視できる複眼的な視線が感じられました。

雄大で美しい自然の中で生きる人々。だが自然は美しいばかりはでなく、ときには苛酷で生命を脅かすほどでもある。
作者は自然の美しさと豊かさだけではなく脅威をも含めて、自然と接して生きる人々を描いています。自然の中で人は小さく無力であると孤独を感じるのですが、それらを認知した上で、尚且つ孤独を選んで自然の中で生きる人たち・・・。
彼らは人の卑小さを認めて孤独を肯定する。孤独であることで自分を見つめて、誰にも惑わされず自分自身であり続ける。些か逆説的じみてますが、孤独であることによって希望を見い出すかのような気がしなくもない。
孤独の果てに希望があると信じることはやや楽観的ではありますが、私もそう信じたいですね。ただ、作者の言いたいこととは違うでしょうが、自然の中でしか自己を見つめて自分自身でいることができないのかなぁ、と思ってしまう。

中途半端に感じられる『もつれた糸』以外は、どれも上出来だと思います。でも、読後しばらく経ったときに「あの短篇のここがよかった」と言えるような、いつまでも強烈に記憶に残る場面がないような・・・。そう思うのは私だけかもしれません。
読んでいるときの体調や精神的・時間的な余裕のなさが原因かもしれないし、短篇だからかもしれないのですが、後々まで刻まれるほどの強烈な印象が残らなかったんです。緻密な構成で読後感が爽やか、心地よく、完成度は高いと思うのだけれど。新人としては凄いということは否定はしないのだけれど、どこかしら釈然としないものを感じたんですよねぇ・・・。
自分の日常生活と、登場人物たちの置かれている環境(地理的な生活の場や職種)が、あまりにもかけ離れているから接点を見い出せないのかもしれません。
ほとんどの短篇において、通過儀礼を経て自身が希求するところを見い出すのですが、通過儀礼を通らなければ自身の求めるものを知ることができないのかなと思ってしまう。それと、文章や情景描写などにムラがなく一定のレベルを維持しているのですが、それが逆に全体の印象を弱めてしまったのではないだろうかという気がしなくもないような。

以下、3篇のみピックアップ。

貝を集める人(The Shell Collector)
盲目の老貝学者は、定年前に引退してケニア沖の島に移り住んだ。以来、貝を蒐集して、盲導犬と静かに暮らしていた。
だがある日、彼の元へ女性ナンシーが迷い込んで住み着いた。そのナンシーが突然、原因不明の病に倒れてしまい、彼は偶然から毒性の貝で治した。そのときから老貝学者の家へ、マラリアや不治の病の人々、記者たちが殺到した。
息子のジョシュは老貝学者を褒め称えるが、当の本人はは静寂で平穏な生活が破られたこと、貝の毒性を訴えても聞き入れてもらえないこと、海を荒らされることに苛立ちを感じていた。

********************

人で島で暮らす老貝学者。美しい海、美しい貝。だが、そこには一歩間違えれば死が潜んでいる。
老貝学者彼は偶然から人の命を助けるのですが、それによって病気を治してもらおうと人々が押し寄せ、静かな生活を破られる。命を救って欲しい救われたい人々、傍若無人にも彼の家に押し入って荒らす人々。ついには人の命が失われる事態に・・・。
貝学者でなかったら、あのとき命を助けなかったらとか、彼の胸に様々な複雑な想いが去来したことでしょう。そうしたことが非常に淡々と語られるのです。
彼は命の重さと尊さ、脆さと儚さを知る。自然の美しさと、その下に隠された脅威も。生と死の果てを見た彼が、己の死を乗り越えて見たものは・・・。
それは一種の「悟り」であり、達観したかのような「強さ」。誰もが彼のように思えるわけではないと思うのですが、静謐な生命力が漲った強さに憧れます。

ハンターの妻(The Hunter's Wife)
2002年度のO・ヘンリー賞受賞作。
狩猟ガイドで30歳のハンターは、巡回マジックショウに出演していた16歳の少女メアリと出会う。やがて二人は、ハンターの山小屋で暮らして結婚する。山の冬は厳しく、ときには寒さと食糧難に苦しむことも。
そんな暮らしの中、メアリは動物の遺骸に触れると、その動物の夢がみえると言う。そのメアリに触れた者は、死者のみている美しい夢想を共有することができた。
メアリは息子を亡くした父親に、息子のみている夢をみせたりして名が知れてゆく。依頼者は彼女に礼金を渡したがったが、ハンターは礼金を受け取ることも、彼女の夢想も信じなかった。
二人は別れ、20年が経ち再会する。

********************

メアリは霊媒とは違い、共感者と言うのでしょうか。彼女は死者に触れて、死者がみている夢想を周囲に中継することができるようです。死者の夢想は幸福感に満ちて美しいのですが、私にはあまりにも美しすぎるように思われまする。美しい夢であって欲しいとは思うけれども、それは生きている人々の願望でしかないでしょう。

メアリの超常現象は置いといて、主人公ののハンターに注目。
彼はメアリを愛していたけれども、彼女を理解することも、彼女の夢想を本能的に理解していても受け入れることができなかった。
彼は別れた後、自分の生き方を全うする。そして20年の歳月を経てメアリと再会したいと思うのですが、心境が変化した理由は何なのだろう?後悔?懐かしさ?
私には歳月を経なければ理解できなかったのだろうと思われるのですが。
彼が真に理解するために必要だったのは時間なのでは。そうした時間をかけて理解することは、彼の誠実さの証だと思うのです。
何かとスピードが求められる現代では、性急に答えが求められます。しかし急いで答えを出さなくてもいいと思うんですよ。時間をかけなければ理解できないこともあるのだから。

ムコンド(Mkondo)
タンザニアで化石を発掘調査していたアメリカ人のワードは、連日山道を疾走する現地人の少女を見かける。
ワードは野性味溢れる少女ナイーマに恋した。求婚しようとするが、そのためには走り去るナイーマを捉まえなければならなかった。彼女を捉まえることが求婚の資格だった。
ワードの求愛を受け入れたナイーマは、彼の故郷オハイオで暮らすが、彼女はどうしてもオハイオに馴染むことができなかった。野性を、自然を、生きている実感を感じることができなかった。
タンザニアから離れた彼女は、何かを失ってしまったのだ。様々なことを試すがどれも失敗に終わり、失意と悲嘆の果てにナイーマがみつけたのは・・・。

********************

タンザニアで生まれ育った野性の生命力溢れるナイーマに惹かれて、オハイオに連れ帰ったワード。しかし二人の生き方は全く異なっており、ナイーマの求めていたものはオハイオにはなかったし、ワードは与えることができない。ナイーマはオハイオで生きる術を模索し続けるが、ついに力尽きてしまう。
彼女の生きる術、それは魂の希求するがままに彼女自身であり続けること。それは自然との交歓?自然への解放?自然と共存すること?

ずっと以前、高地で空を仰いだとき、キリリと澄み切った濃紺色の空が覆い被さってくるように感じたことがありました。どこまでも澄みきった夜空、満天の星が冴え冴えと煌めいて、幾千もの星々がいっせいに降り注いでくるかのよう。そのとき、自分の体がは地に腰を下ろしているのではなく、星降る虚空に浮かんでいるかのような気分になり、星々の煌めきが神々しくも恐ろしくも感じられたんですよね。
圧倒されるほどの自然を前にして、自分という「個」を強烈に意識させられる。ナイーマの求めているものは、そんな感覚に近いのかもしれない。
彼女の撮る写真は、文章からまざまざと想像できるほど、どれも力強いエナジーに満ちている。川に映る星の写真が特に美しく、こういう景色を見てみたいものです。そのとき人は何をどう感じるのだろう。こればかりは、実際に目にしないことにはわからないのでしょうねえ。(2003/7/26)

[以下、追記]
「私の日常生活と、登場人物たちの置かれている環境(地理的な生活の場や職種)が、あまりにもかけ離れているから接点を見い出せない(以下省略)」と先に書いたけれども、『ムコンド』で明らかなように、この短篇の構造は「ゆきて帰りし物語」なのでしょう。
全篇の主人公が特殊な地質的環境に置かれていることを考えると、基本的にすべて冒険小説ではないのかなあ。冒険小説と考えると『七月四日』だけが、特に作風が異なるわけではないようです。
問題は帰ってきたときの主人公の変化にあるのだと思うのです。経験によって何かしら成長するものでしょう、普通ならば。でも私には、行ったときとの違いがわからなかった。つまりは、どこかしら成長したとは感じなかったんです。

私がいちばんに気になっていたのは老貝学者と息子、ハンターと妻、ローズマリーとグリゼルダ、マリガンと母親、ナイーマとワードらの態度なのです。彼(彼女)らはお互いの相手と直接対峙することはないんですよ。相手と衝突しケンカしてでも理解しようという心構えがないわけです。
話し合っても問題が解決するとは限らないけれど、お互いに言葉で表さなければ相手が何を考えているのかわからないでしょう。それを主人公たちは、初めから放棄しているとしか思えないのです。その点が、この作品集に釈然としなかった理由だったと気づいたわけです。ただし、私の読解力に問題があることは十分有り得るのだけれど。(2003/10/25)

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへにほんブログ村 本ブログ 海外文学へ

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

H2

Author:H2
My評価について
=1ポイント
=0.5ポイント
最高5ポイント

最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
FC2カウンター
検索フォーム
リンク
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。