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赤姫さまの冒険/パウル・ビーヘル

赤姫さまの冒険
パウル・ビーヘル

My評価★★★★★

訳:野坂悦子
カバー画・挿絵:フィール・ファン・デア・フェーン
徳間書店BFC(1996年9月)
ISBN4-19-860577-7 【Amazon
原題:De Rode Prinses(1987)


12歳の誕生日に初めて城の外に出た赤姫さまが、馬車でのパレードの最中に盗賊にさらわれた!
盗賊は捕まえられたが、すでに赤姫さまが隠れ家から逃げ出したあとだった。
おばあさまと王様と王妃さまは、赤姫を探し出した者に賞金を与えるおふれを出しました。でも、赤姫さまをチラリとも見たことがない国の民は、「赤姫さまなんて存在しない、みんな城の人たちのお遊びだ」と騒ぎ立てた。そして、お遊びにつきあって城の人たちをからかってやろうと考えたのです。

城へ帰ろうとする赤姫さま。しかし、ともかく泊まる場所や食事を得なければいけません。そのために働かなければいけないのですが、何も知らないし何もできない。しかも国の民は彼女の言葉、彼女が赤姫だと信じてくれないのです。

********************

1988年、文章で『銀の石筆賞』、イラストで『銀の絵筆賞』を受賞。どちらもオランダの賞。
お伽噺のような、どこか懐かしい雰囲気を漂わせる物語。盗賊を捕らえる兵隊たちの姿がおかしく、他にもクスリと笑わせてくれました。
何が本物で何がニセモノなのか、真実と虚言がグルグルと入れ替わっていき、おもしろおかしくて最後はちょっぴりせつない。

作者は単にお伽噺を現代に復活させたのではなく、とても現代的に描いています。
例えば居酒屋でモミノキじいさんが、「赤姫さまなんて存在しない」というところ。それまでそんなことを考えもしなかった人たちまでが賛同してしまうと、例え真実でなくても、人々にとって正しいことになってしまうのです。
また、赤姫さまがどんなに城のことを言っても、城の生活を知らない子どもたちは信じません。多数決の論理の前では少数意見は圧殺されてしまい、多数の人々の知らないことは存在しないあり得ないこと、本当は真実なのに虚言とされてしまうのです。
赤姫さまの存在は否定され、少女は本当は赤姫なのに身分を隠してしまいます。しかし、そのために自分自身を客観的に見ることができ、最後には自分以外の何者にもなれないことを知るのです。
それは、自分という人間の基盤となる強さだと思います。
王さまと王妃さまは自分が何者なのか知らないので、立場ではなく自我(と言うべきか)が揺らぎ、すぐに自分を見失ってしまう。

真実と虚言が入れ替わる物語の中で、おばあさまが周囲に惑わされずに自分の考えで毅然と行動できるのは、自分という人間を知っているからではないでしょうか。赤姫さまもまた自分を知ることで、安易に周囲に併合しない強さを持って行動できるのでしょう。お伽噺風でありながら、なかなかに奥の深い物語だと思います。(2002/2/2)

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