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ドールの庭/パウル・ビーヘル

ドールの庭
パウル・ビーヘル

My評価★★★☆

訳:野坂悦子
カバー画・挿画:丸山幸子
早川書房ハリネズミの本箱(2005年4月)
ISBN4-15-250031-X 【Amazon
原題:De Tuinen van Dorr(1969)


小人の渡し守の漕ぐ葦舟に乗って真っ黒い水を渡り、ドールの都へ行こうとする女の子。小人は女の子を「コビトノアイ」と呼びます。
女の子は銀の靴を履き、首には銀のペンダント。ペンダントには、女の子にとって何よりも大切な秘密が隠されているのです。
女の子は大きな庭のある城のお姫さまで、庭師の男の子と仲良く遊んで育ちました。そのときの女の子は、男の子から「ノモノ」と呼ばれていました。
ところが庭師の男の子は、魔女シルディスによって花に変えられてしまったのです!その花の種を正しい場所に植えると、男の子は元の姿に戻るというのです。その場所が、ドールの庭だったのです。

女の子は、門番のイリ、老魔法使いアリャスス、古い塔の下に住むフロップたちと出会い、ドールの庭を探します。
しかし、ドールの都は忘れられて失われた都。かつて魔女オディシア率いる銀の兵士たちによって、若者が消え、人々が石像にされた都。しかも春は失われ、植物は枯れ果ててどこにもありません。

一方、「アノコノナ」を探して、吟遊詩人ヤリックがドールの都へやってきました。ヤリックは行く先々で、情報の代わりに話を求められます。ヤリックが語ったのは、安全に花を植えて育てられる場所を求めて、幾春もの夏をさすらう女の子の話でした。

女の子は庭をみつけて、魔女オディシアと銀の兵士たちに打ち勝つことができるのでしょうか。そして男の子を元の姿に戻せるのでしょうか?また、失われた春と石像となった都の人々は?

********************

オランダを代表する児童文学作家パウル・ビーヘル(1925年生まれ)の長篇フンタジー。タイトルからてっきり「人形の庭」だろうと思ったら、そうではないんですね。
冒頭、女の子が小人の舟に乗って、黒い水を渡る場面から始まります。対岸のドールの都へ行くためです。なぜ、なんのために女の子は都へ行くのか?そもそも女の子は何者なのか?いくつものナゾは、物語が進むつれて少しずつ明らかになっていくのです。

原書の初版は1969年。訳者あとがきによると、作者は50作以上の自作のうちでいちばん気に入っているとか。
ずいぶん昔なので、多少は古いかなと思うところがなきにしもあらず。けれども、総じて古さはさほど感じませんでした。
ただ、私には後年の作品と比べるとユーモラスさに欠けているようで、いまいちスンナリと楽しめなかった。
それに終結部での善悪の対決という構図が、ストレートすぎるように感じたんですよねぇ。これは時代性なのかもしれません。
もっとも「銀」の扱われ方と最終章によって、善悪はスッパリと二元論で割り切れるものではない・・・ということを表してはいるようですが。
また、エイプセやヨーヨー、ムフ、アリャススとなどの人物が、有効に生かされていないように思えるんです。なにより彼らの存在がとても不自然。どうしてこの人たちだけが石像にならないのか不思議。

子ども時代にでも読めば、素直に楽しめたかもしれません。でも、いろんな小説を知った後では、不自然で疑問に思うところが多々あり、ファンタジーといえども、キチッとした説明あるいはこの世界のルールに則ってほしかった。もしくは気にならないよう物語に夢中にさせるとか。
物語の構造・構成自体はいいと思うのですが、後年の作品を知った後ではもう一つという感が否めませんでした。ただ、1969年頃に日本で、ビーヘルのような物語の構造・構成のレベルに達していた児童文学作家がいるかというと、そうそういないのではないかと思いました。(2005/8/16)

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