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テンレの物語/マーリオ・リゴーニ・ステルン

テンレの物語
マリオ(マーリオ)・リゴーニ・ステルン

My評価★★★★

訳:飯田熙男
青土社(1998年5月)
ISBN4-7919-5638-X 【Amazon
原題:STORIA DI TÖNLE(1980)


イタリアのカンピエッロ賞(伊の主要文学賞の一つ)とバグッタ賞受賞作。
アルプス山麓の国境地帯に位置するがゆえに、第一次世界大戦を挟んで国家に振り回されたアジアーゴ(アジャーゴ)村の人々の運命が、実在した人物のテンレ・ビンタルンの人生を追うことで語られる。作者はまえがきで、歴史の一つの証言とするために、作り話を一切削除したという。

テンレの家は祖父の代から、屋根にサクランボの木が生えている。鳥が種を落としていったからだった。
テンレは山岳部隊の工兵になる以前に、ボヘミアに駐屯するオーストリア陸軍の兵士をしたことがあった。だが、除隊後に帰郷したとき、村の支配者はオーストリア皇帝からイタリア国王へ代わっていた。テンレは毎年冬になると三、四回、荷物を背負って国境を越え、持って行った品物を売って食料や日用品を買い入れていた。だが1866年以降、国の財務官によって国境の通行が監視されることになった。
ある年の冬、テンレは警官に見つかり、反射的に棒で殴って逃げてしまう。彼は投獄を逃れるために、オーストリアなどの異郷で仕事に就く。だが冬になると故郷が恋しくなり、家に舞い戻って来た。数年後の1904年、逮捕される危険がなくなったテンレは、村へ戻って羊の世話をして暮らす。

1914年、サラエボでフランツ・ヨーゼフの息子が殺されたことによって戦争が始まる。国境を挟んで、親族や同郷人、昨日までの友だちが敵味方に分かれてしまった。テンレの息子たちは山岳大隊に配属される。やがて村は立ち退きを強制されるが、テンレは羊たちとともに山奥に篭る。テンレは村の様子を見に行くが、村は爆撃を受けドイツ軍に占領されていた。テンレはドイツ軍兵士に捕まり、強制収容所へ送られる。そこには彼がボヘミアで駐屯していたときの上司がいた。
テンレは収容所を脱走しようとするが失敗。いまだ戦争は終わっていないが、イタリア赤十字やミラノ婦人会の働きで捕虜交換が実現する。強制収容されていた人々はミラノで家族と再会することになっていたが、テンレ一人、ミラノから故郷アジアーゴのサクランボの生えた家を目指す。だが、彼が故郷で見たものは・・・。

********************

訳者あとがきによると、アルプス高地に位置するアジアーゴは、この物語が始まる少し前までオーストリア=ハンガリー帝国に属していた。テンレの使う言葉は「チンプロ」と呼ばれる方言で、古いドイツ語の影響を受けているという。テンレ・ビンタルンを今日風のイタリア語にするとトニーノ・インヴェルナトーレとなり、トニーノは愛称的な名前で、インヴェルナトーレは「冬の人」を意味するのだそうだ。

1859年の戦争によって1961年にイタリアが統一されると、アジアーゴはそれまでのオーストリア領からイタリア領へと移され、住民はイタリア語を話すよう強いられる。そして第一次世界大戦の勃発。本書で語られる時代は、純粋に文学的な価値のみではなく、記録文学としても高い評価を受けているという。そのためかイタリアの高校生向け教科書の双書に加えられているそうだ(ただし邦訳刊行当時の話)。
支配者が代わったことによって、それまで自由に国境を越えてきた住民は、国境線に縛られることになる。従来のように自由に国境を越えて商品を売買する行為や出稼ぎが、新しい国境線によって犯罪とみなされた。オーストリア側に住んでいる親族や知り合いにも会うことができない。国境地帯で暮らす住民の実情は無視された結果だった。
さらに第一次世界大戦の勃発により、それまで親しかった人が銃を構え合うようになる。テンレはかつてオーストリア兵士として駐屯したこともあるのに、今ではイタリア人とみなされ、敵味方と分かれてしまった。高地で暮らす人々は自治制を敷いているが、国家という名のもとで強制的に立ち退かされる。

高地の人々はテンレのように、チンプロやイタリア語、ドイツ語を自由に駆使することができるという。テンレはドイツ兵士にドイツ語の訛りを揶揄したりする。この複数の言語での遣り取りが邦訳では表現できないのは仕方ないが残念だ。大戦当時、高地の人々は自治制の伝統や言語が異なることから、オーストリアに味方して反抗的であるとみなされていた。それは何人かの将軍が、自分たちの失敗の責任を村人に転嫁するために流したデマだったという。

彼は誰のための国境か、何のための戦争かと問う。テンレにとって国家や言語という枠組みでの境界は存在しないからであり、押し付けられた境界は国境地帯に地域に住む人のためのものではないからだ。彼は自由に(公然とではないが)各地を歩き回る。
テンレは故郷の山へ向かっているとき、スラリの背の高く生き生きとした隊長と出会い親切にされる。それは政治家で作家のエーミリオ(エミリオ)・ルッス(『戦場の一年』の作者)だったという。ルッスが登場するとは思わなかった。
国家や言語、人種という枠組みに翻弄されつつも、その枠組みを超えて生きるテンレ。支配されるということはどういうことか。彼の生き方から、国とは戦争とは、自由とは何かを問われる。作者は感情を極度に抑制し、簡潔で格調高い文体で書いている(邦訳なので断言できないがそう感じられる)。(2004/11/5)

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