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蝶の舌/マヌエル・リバス

蝶の舌
マヌエル・リバス

My評価★★★☆

訳:野谷文昭・熊倉靖子
角川書店BOOKS PLUS(2001年7月)
ISBN4-04-897018-6 【Amazon

収録作:蝶の舌/霧の中のサックス/カルミーニャ/愛よ、僕にどうしろと?/コンガ、コンガ/アニメーション/スパッツをはいた娘/ モノたち/コウモリのために咲く白い花/幸福の占い/時がもたらす知恵/そこに独りで/牛乳を注ぐ女/ミスターとアイアン・メイデン/ハバナの大墓地/ヨーコの光


訳者あとがきによると、マヌエル・リバスはスペイン・ガリシア地方の出身。ほとんどの作品の舞台はガリシアだと思われます。
スペインの小説というとリアリズムや幻想性の強い作風を思い浮かべがちなのですが、この短篇集はなんとなくリアリズムからの脱却を目指しているような印象を受けました。幻想的というのではなく、現実の生活の中で夢みる登場人物が多かった。

過去の時代を扱いつつも、過ぎ去った出来事としてではなく、現在に影響しているんです。そんな今を生きる若者の姿が、ほんのりと温もり感をもって描かれています。
しかし、どこか未消化感が。未消化感は、現代の都会人の抱える空虚感にどこかしらで繋がっているような気がするのだけれど。
実験的な作品が多く感じられ、短篇の出来栄えにバラつきがあります。でも全体としては、私は結構いいと思う。この作家の長篇を読んでみたいと思いましたね。「蝶の舌」系列に属する雰囲気という『大工の鉛筆』(未訳)を読んでみたいです。

原書のタイトルは『愛よ、僕にどうしろと?』(1995)ですが、映画の日本公開に合わせて題名を『蝶の舌』に変更したとのこと。1999年、ホセ・ルイス・クエルダ監督により、タイトル『蝶の舌』で映画化。2001年夏に日本公開。
映画では時代背景も主人公も異なる三つの短編「蝶の舌」「霧の中のサックス」「カルミーニャ」を一つにしたものらしい。以下、映画化の短篇を中心にピックアップ。

蝶の舌
時代背景は、内戦によって第二共和制が崩壊する直前の1935~1936年。
学校へ入学することになった僕は、緊張のあまり失敗をした。恥ずかしさのあまり教室を飛び出した僕は、真っ暗になるまでシナイ山に隠れていた。迎えに来たのは先生だった。
やがて僕は学校に慣れ、先生と仲良しになる。自然のなかで触れ合う教師と生徒。母はそんな先生のために、二人分のお弁当を作ってくれた。仕立屋の父は感謝のしるしとして服を仕立てた。

1936年7月のある日、アラメダ通りの市役所前に不穏な空気が漂っていた。軍隊が戦争開始を宣言し、知事官邸に向かって発砲しているという。ある朝、一家を含む多くの住人が市役所前に集まった。そして市役所から、治安警備隊に捕縛されたアナーキストたちが出て来たのを見て群集は叫んだ!

********************

父親の怒りの叫びには、どうしようもなく無力な自分自身の悲痛さ、そうしなければ生きていけなかった時代性が表れていると思いました。でも、スペイン内戦について知らなくても支障はないと思います。
ラストのセリフが絶妙で、このセリフに幼い主人公の理不尽さへの憤り、先生への想いが込められている珠玉作。こう書くとシリアスで深刻な物語のように思われるでしょうが、違うんですよ。ほのかな温もり感のある雰囲気なのです。

霧の中のサックス
父から友人のサックスを譲られた15歳の僕は、「オルケスタ・アスル」というバンドに引き抜かれた。
サンタ・マルタ・デ・ロンバスへ行き、そこの祭りでデビューする僕は、宿泊先のボアルの家で一人の娘と出会う。娘は口がきけなかった。ボアルは彼女を「狼少女だ」と言う。

********************

1949年というチョコレートが貴重だった時代。いつかは憧れの新大陸ブエノスアイレスへ行き、成功を夢見る人々がいる反面、ボアルや娘のような存在がいるんですね。娘の正体が知れたとき、ボアルの彼女の扱いに憤然とさせられるものを感じました。
そんな混沌とした雰囲気のなかで主人公はサックスを吹く。人間性とか思想、政治に頓着しない主人公の姿。それは現代スペイン的な若者像なのでしょうか。

カルミーニャ
日曜の朝、バルにだけしか姿を現さないオリス・デ・セサモは、サランドンの娘カルミーニャのことを独白。サランドンには犬がいて、いつも彼とカルミーニャの邪魔をしていたので、ある夜、彼はひっそりと犬を始末したのだった。
でもそれは随分と昔の出来事で、いま彼はシェリー酒を啜りながら、独り懐かしんでいた。

********************

オリスより犬の心配をするカルミーニャの姿には、どこかしらいびつさを感じました。いびつさは日曜にしか姿を現さない孤独なオラルにも通じるような。

愛よ、僕にどうしろと?
夏になるとサクランボの夢をみる。そしてサクランボを口移しする恋人たち。その彼女の気持ちを引くために僕は銀行強盗をする。
しかし、成功したと思った矢先に撃たれてしまい、アパートに担ぎ込まれた。

********************

事件は若者によるストリートでの発奮ですが、時間(時空と言うべきか)がサクランボに閉じ込められて円環しているような印象。
社会性が希薄で、あくまでも個人に焦点が絞られているのは、決して短篇だからというだけではなさそう。(2001/7/30)

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