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ヒヤシンス・ブルーの少女/スーザン・ヴリーランド

ヒヤシンス・ブルーの少女
スーザン・ヴリーランド

My評価★★★★★

訳:長野きよみ
早川書房(2002年6月)
ISBN4-15-208422-7 【Amazon
原題:Girl In Hyacinth Blue(1999)

目次:十分に愛しなさい/すべての夜と違う夜/警句/ヒヤシンスの青/朝の輝き/アドリアーン・クイペルズの手記から/静かな生活/マフダレーナが見ている


フェルメールが描いた窓辺に佇む少女の絵画と、その絵にまつわる人々の人生をめぐる連作形式の長篇。
物語は現代のアメリカから始まり、第二次大戦中のアムステルダム、19世紀オランダ、1700年代のオランダの村、そして絵が描かれた発端へと時代を遡ってゆく。

『十分に愛しなさい』では、現代のアメリカに住む数学教師コルネリアス・エンゲルブレヒトが、同僚の美術教師リチャードに見せた絵が発端となる。
リチャードはその絵が仮にフェルメールの絵だとしても、なぜコルネリアスが所持しているのか、書類のない絵の出所を問い質す。
絵はコルネリアスの父親のものだった。ドイツ人の父親は、1942年にアムステルダムで絵を入手したのだった。

そして時代は第二次大戦中のアムステルダムに住む、ユダヤ人一家の物語『すべての夜と違う夜』へ。
居間に飾られている絵の少女を、少女ハナは自分自身と重ね合わせていた。ハナはナチスドイツによる緊迫の高まり不穏な空気をひしひしと肌で感じとっていた。
19世紀末のオランダに舞台を移した『警句』では、娘の結婚式の祝いに絵を贈ろうとする妻と、なぜか反対する夫。ふとしたことから生じた夫婦の溝とその回復の物語。
『ヒヤシンスの青』は、愛のない結婚をしてオランダに住む、フランス上流階級の女性の物語。

1717年、オランダは大洪水に見舞われた。サススキアは、舟のなかに置き去りにされた赤ちゃんと絵をみつけた。書類の裏には、絵を赤ちゃんの養育費に充てるようにと走り書きされていた。彼女は赤ちゃんを育てようと決心する。
だが洪水のために農地を耕せず、一家は逼迫しつつあった。夫は絵を売却するようにと言うが、彼女は「朝の輝き」と名付けた絵を手放したくなかった。そのため、彼女はついに大事な種芋に手をつけてしまう。

『アドリアーン・クイペルズの手記から』では、赤ちゃんと絵がどこから来たのかが語られる。
アドリアーンは大学で学んだ理論を実地に生かそうと、伯母の住む村へやって来た。そこで魔女とウワサされる少女アレッタと出会う。

絵を描くことへの欲求と、家族を養うことの両立に悩むフェルメール。だが、絵は描こうと思って描けるものではない。モチーフはインスピレーションと深い瞑想からしか得られないからだ。その彼が少女の絵を描き始める。フェルメールはモデルの少女の内に、自らが求める天国『静かな生活』を視る。
『マフダレーナが見ている』はフェルメール亡き後、モデルとなった二女マフダレーナの物語。

********************

タイトルがいいですね。「ヒヤシンス・ブルー」という、涼やかな香気と清冽さ、開花した花が持つ生命の輝きのイメージを含んだ語感は、この作品にピッタリ。
香しくて清冽な情感と知的さを湛えており、それらがちっとも押し付けがましくなく、控えめな美しさと輝きを放つ作品。その輝きはフェルメールの絵を彷彿とさせます。
しかし最終章のラストに顕著なのですが、その美しさも恒久的なものではないんですね。だからこそ美しく稀少で、せつないほどの悦びに満ちている・・・。それは生の悦びのよう。
問題の絵は作中でいろいろな名前で呼ばれるのですが、作者による架空の絵なので実在しません。でも話が進行するごとに、絵をまざまざとイメージでき、本当に実在する絵を活写したかのような印象を受けました。

各篇とも時代が異なり、作者は各時代に生きる人々の感受性を書き分けています。これはすごいことではないでしょうか。相当の筆力がなければできないですよね。凡庸な作家なら上下巻など長い物語にしそうなところを、一冊にまとめて、しかも様々な物語性を内包していると思います。
時代の描写は最小限に抑えられているのですが、それでも各時代の雰囲気が伝わってきました。人物造型や時代描写、エピソードが章ごとに異なり、短篇小説としても楽しめるんです。また、一つの絵の真偽をめぐるミステリー的な物語としても楽しめます。

「訳者あとがき」で、ニューヨーク・タイムズの書評が部分的に紹介されています。さすがニューヨーク・タイムズなだけあって、実に的確で簡潔。もはや何も言うことはありません。でも、蛇足ながら私的感想を書くことにします。
絵は様々な時代に生きる階級・境遇の人物の手を経ます。所有者たちがなぜ絵を手放したのか、絵に何を視ていたのかが、それぞれの現状を通じて語られます。このことは、観る者へ影響を及ぼす絵画というものの本質を突いていると思うのです。
どの物語では、個々人は絵に求める理想世界と、現実生活との何らかのギャップを認識していると思うのです。そのギャップを越え、自分の人生を見つめなおす。そして自分の本心に沿うよう努める。
しかし必ずしも悦びばかりや、状況がいい方向へ変わるとは限らず、ときには葛藤や苦痛を伴う選択を迫られる。それでも絵を手にする前と後では、人々に何らかの変化が起こったことがわかるようになっているのです。
「美」というものが私たちの生活に必要なのはなぜか、何をもたらすのか。そのことを作者なりに提示した作品ともいえるのではないでしょうか。(2002/12/28)

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