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闇の底のシルキー/デイヴィッド・アーモンド

闇の底のシルキー
デイヴィッド・アーモンド

My評価★★★☆

訳:山田順子
東京創元社(2001年10月)
ISBN4-488-01316-3 【Amazon
原題:Kit's Wilderness(1999)


おばあちゃんが亡くなり、一人になったおじいちゃんと暮らすためストーニーゲイト村に移って来たワトソン一家。
おじいちゃんは孫のキットに、少年坑夫たちや記念碑の話をしてくれた。坑内にも幽霊がいて、ランタンが消えたり炭坑夫の鼻がつままれたりしたら、それは愛らしく小さな「シルキー」の仕業だと。おじいちゃんは黄昏や暗闇時、亡くなった少年坑夫たちが川のそばで遊んでいる姿を見ることができると言う。
キットは目をすがめたり横目で見ると、少年たちの姿を見ることができた。そしてジョン・アスキューにも。
キットは坑道の洞窟でアスキューが執り行う「死のゲーム」に参加する。だが先生にみつかって、アスキューは放校になる。

やがておじいちゃんが倒れ、アスキューが姿を消した。アスキューは長年、アル中の父親から折檻を受けていたのだった。
キットは黙々と古代の物語を書き始める。キットは自分の書いた物語が古代の記憶であり、現在と古代が重なり合っていることに気づきはじめる。

********************

死や闇を恐れると同時に魅せられる少年たち。アスキューの死への憧れは、自分の存在意義を見いだせずに、自分が消えてしまいたいという願望を抱く。その理由は、彼の家庭環境に起因している。
対するキットは、大好きなおじいちゃんの死を目前に感じて、なぜ死に魅せられるだろう?最後まで読むと、死が「終りではない」ということはわかるのだけれども、死に魅せられた理由にはならないので、キットには共感できなかった。それはたぶん主人公キットの個性が乏しいことによるのではないかと思う。

シルキーたち少年坑夫の存在や古代の物語が、この作品の魅力を醸し出しているのですが、にも関わらず読む側の感情に直接訴えるほどの存在理由が感じられないんだなぁ。どことは言えないけれど、全体的に印象がぼやけていて、焦点が絞りきれていないように思われてならなかった。これは訳の問題なのかな?
いまひとつ少年たちに共感できないなかで、生命力に溢れたアリーが個性的で頼もしい。アリーがいなかったら、この作品の狙いであろう、未来への希望をもつこと、生命の尊さといったものが効果を上げなかったのではないだろうか。(2002/2/14)

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