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ヘヴンアイズ/デイヴィッド・アーモンド

ヘヴンアイズ
デイヴィッド・アーモンド

My評価★★★☆

訳:金原瑞人
河出書房新社(2003年6月)
ISBN4-309-20384-1 【Amazon
原題:Heaven Eyes(2000)


親を亡くしたり捨てられたりして、モーリーンの孤児院で暮らす子どもたち。モーリーンは、「子どもたちの傷を癒してあげたい」と言う。反面、「子どもたちは一生世の中に歓迎されることはない」とも言う。
少女エリンはモーリーンに反発する。自分はなんでもやりたいことを出来るのだ、と。
エリンと親友のジャニュアリー少年、マウスの三人は孤児院を脱走。ドア板を筏にして川へ乗り出す。自由と冒険を求めて。

三人を乗せた筏は、「黒い泥沼(ブラック・ミドゥン)」で座礁した。そこは廃墟となった工業地帯。三人は一人の少女に助けられる。
手足の指に水掻きのある少女は「ヘヴンアイズ」と名乗った。世の中のどんな苦しみや悲しみからでも天国(ヘヴン)を見出せる目(アイズ)。ヘヴンアイズは外界のことを一切知らず、印刷工場の管理人だというグランパと暮らしていた。
年老いたグランパは記憶に障害が表れていた。彼はヘヴンアイズをブラック・ミドゥンから掘り出したと言う。グランパはブラック・ミドゥンで、何かを掘り出そうと探していた。
ヘヴンアイズはどこから来たのか。彼女は何者なのだろう?グランパは何を探しているのか?

********************

エリンとジャニュアリー、マウス。孤児院という閉ざされた世界で生きる子どもたちが、自由と可能性を求めて外界へ冒険に乗り出します。そして人の心を和ませる穢れを知らない少女ヘヴンアイズと出会う。
ヘヴンアイズが何者でどこから来たのか、次第に明らかにされていきます。

グランパは何を掘り出そうとしているのか?
彼が探していたものはその出没する場所から、「世の中のどんな苦しみや悲しみからでも天国を見出せる・・・」というところにかかるのでしょう。
泥の中でも咲く蓮のように、特定の信仰の場でなくても顕現するということ。顕現に何故とか理屈は必要ないでしょう。それは理屈では計り知れない奇跡なのだから。大切なのは「奇跡を信じるか、信じないか」だと思うんです。奇跡と言えばいかがわしく感じると思うので、「希望を信じるかどうか」と置き換えるとわかりやすいと思います。

アーモンドの作品の特徴は"闇"にあると思う。その闇はのっぺりとしたものではなく、質量感を伴っているかのように感じられる。
一般的な作家は闇を恐れる登場人物を描くけれど、アーモンドの場合はそうではない。登場人物たちは、昼の光の中でよりも闇の中でこそ生彩を放っているかのよう。作者自身が闇に親しみを憶えているかのようで、作者が描き出す闇は恐怖の対象ではないんですよね。

モーリーンによって傷を負ったとされる子どもたち。私にはどうして作者がそんな子どもたちを描くのか、いまひとつ理解できないでいます。子どもにも痛みはあり、その痛みの先に希望を見出そうとするのはわかる。でも初めから悲愴な状況設定は、私としてはあまり好きになれなかった。
ラストはハッピーエンドと言い切れるほどではないのだけれど、モーリーンを含めてみんな変わっていくから、やっぱりハッピーエンドなのでしょう。
エリンも少し変わった。エリンの求めている自由とは、外の世界へ出て行くことではなく、自分自身の目で世界を見ることではないでしょうか。(2003/10/2)

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