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世界が生まれた朝に/エマニュエル・ドンガラ

世界が生まれた朝に
エマニュエル・ドンガラ

My評価★★★★★

訳:高野秀行
小学館(1996年12月)
ISBN4-09-356041-2 【Amazon
原題:LE FEU DES ORIGINES(1987)


1988年、ブラックアフリカ文学大賞受賞。
タムタムとヤシ酒、透明な音の無いメロディとほのかに聖酒の香り漂う物語。母親がバナナ畑で陣痛をもよおしたために、証人不在のまま子どもが産まれた。そんな子どもに村人たちの眼は冷たかった。その出生が、祖先に祝福された自然なものだと信じずに恐れたのだ。ましてや村人にない緑の瞳を持つ子どもでは。
子どもは名付けられず、単にマンダラ(ヤシの子ども)と呼ばれる。やがて長老ルケニによって出生を認められた子どもは、<力>に挑む者『マンタンク』と名付けられた。

マンタンクは狩人となり鍛冶師となり、世界を動かす力の源である「知」を求め続けて、若き偉大な治療師『ンガンガ』となった。ンガンガとは賢者であり呪術師であり、知を有する者。呪術師であり治療師の伯父のビゼンガは、マンタンクを指導したと自称するが、彼が自分より崇拝されるのを忌々しく思っていた。やがてビゼンガは狡知を用いて首長を排し、自分が首長の座に就く。
ある日、村に『ンブルンブル』=殺人者にして強盗、強姦魔の民兵がやって来た。村人はンブルンブルを撃退するが、その後に異人たちがやって来た!

********************

訳者あとがきによると、エマニュエル・ドンガラは1941年にアフリカのコンゴ人民共和国に生まれた。十代の終りから約10年間アメリカで教育を受けて、物理学の博士号を修得。現在は故郷の大学教授を務めているという。本書の原版はフランス語で、パリにて刊行。

純文学ではあるがエンターテイメントとしても読める。なによりとても読みやすい。原始社会から白人の到来による植民地時代。独立戦争とその後の社会の混乱。急激な近代化・民主化によって失われるアフリカ文化と独自の思想体系。
またそれらの過程において暴かれる旧弊社会。そしていまだに混迷を続ける現代のアフリカ社会・・・。怒涛の歴史がマンタンクの一生を通じて神話的に語られる。
アフリカの風俗、呪術や祖先の霊、土着信仰が支配する閉鎖社会。欧米の植民地政策や合理性、資本主義。支配と被支配、生と死、物質と非物質、神話と科学、破壊と創造。一見相対化しているように思われる事象は、実のところ相対化していない。作者の巧妙なところは、それらが巧みに摩り替わる。昨日の被支配者は明日の支配者となり得る。創造を求めんが故の破壊。マンタンクはそれらに翻弄され境界上を彷徨う。

訳者あとがきが秀逸なので、少し長いけど引用。
しかし、何よりも重要なのは、この作品がアフリカをはるかに超えた普遍性を有していることである。今までのアフリカ文学は、大ざっぱに言うなら、「アフリカ人であること」をひたすら意識して育ってきた。(中略)こういったものはみな「アフリカ人であること」「アフリカというところ」が実際の主人公であり、テーマであった。(中略)もちろん、ドンガラの描く世界もアフリカである。それは間違いない。しかし彼の作品はアフリカの物語である以上に「この世に生を受けた一人の人間の物語」であり、「アフリカ人であること」の奥に「人間であること」という光がはっきり見てとれる。アフリカはアフリカだが、それはアフリカ文化がどうであるとか、アフリカの社会がどうあるべきであるとかといったこととは、微妙にずれている。(p285)
簡単にいえば従来のアフリカ文学の殆どが、アフリカという特定の社会をアフリカの論理で描いている。それはそれで他国人が読んでも評価に価する。だがドンガラの場合は、確かにアフリカとその社会を舞台にしているが、特定の国や民族や時代を超えた「普遍性」がある。アフリカだけではなく、全世界に通じる物語なのだ。一民族や一文化がどうあるべきかではなく、人間としてどうあるべきかや、文化の在り方の根本に迫っている。

また、アフリカの<知>と科学的な知識の違いは、作者が強調しているように、前者が全体的で常に物事の意味を問うのに対し、後者は技術的で物事の仕組みしか説明しないことにある。例えば、人間が生きていることを有機分解のエネルギーで説明するのが科学的知識であり、一方、人間がなぜ生まれ死ぬのかを問うのが<知>である。(p286~287)
このことにアフリカ社会と欧米型社会の、思想を含む根底からの相違があるのではないだろうか。そしてマンタンクの存在意義も。もちろん知を希求する人はどこの国にもいる。ただ知が実生活にどう関わってくるかとなると、欧米型社会では普段の生活に必ずしも密接しているとは思えない。だがアフリカ社会では生活に密接している。どちらが良い悪いかではない。そもそも知の質が異なる。ルケニのような長老によっては、氏族社会を維持するのに必要なのだろう。
知を求めるマンタンクの人生は、現実社会では不毛である。しかし彼は常に問い続けることを忘れない。彼の行動は小さな波紋ではあるが、波紋には違いない。マンタンクが生涯の果てに得たものは、時に侵蝕されず永遠に輝き続けるに違いない。それはやはり言葉を与えてはいけないものなのだろう。(2001/12/3)

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