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魚の王様(上巻:第1部)/アスターフィエフ

魚の王様(上巻:第1部)
アスターフィエフ(ヴィクトル・アスターフィエフ)

My評価★★★★★

訳・解説:中田甫
群像社,上巻(1983年11月)
ISBN4-905821-12-6 【Amazon】

収録作:幻の犬/しずく/密漁者ダムカ/ちょうざめ漁の穴場で/猟師グロホターロ/魚の王様/黒い羽根が舞う


ヴィクトル・ペトローヴィチ・アスターフィエフ(1924-2001)はロシアの作家。時代背景は初期のスターリン政権下。シベリアの大河エニセイやタイガで圧倒的な自然の猛威と対峙しながら、都市部から遠く離れて、密漁や狩猟によって渇々としながらも逞しく生きる庶民を描いた短篇集。
当初は短篇として個別に発表されたが、1980年と1982年に『魚の王様』として旧ソ連で単行本化。ルポルタージュと小説の中間と言える作風で、第1部(上巻)と第2部(下巻)では多少作風が異なる。第1部はルポルタージュ色が強いように思う。
私の読んだ版は上下巻とも初版で、写植ミスと用語の不統一、校正の不出来が呆れるほど多く、作品を損ない兼ねない。なぜなら訳の信用度にも関わってくるからだ。出版社の良識を問う。

貧しく教養はなくとも必死で生き、経験から得た独自の人生哲学と諦観を持つがゆえに、登場人物の誰もが強烈な個性を発している。この作品の登場人物たちは訛っていて、シベリアで語られている方言を使っているという。
解説中の作者の言葉を引用すると、たしかに、主人公達や語り手は、現在シベリヤで語られているとおりの話しかたをしています。(中略)しかしシベリヤに住む何百万人もの人が話している言葉を知らないということは、はたして恥ずかしくないでしょうか。しかもその言葉というのが、表現力ゆたかで、適切で、正確な言葉なのです!私達は、時として、均一化した無色の言葉で話すことを、ほとんど文化のしるしであるかのように、考えていないでしょうか。(p259)

人生賛歌とか自然讃美とか思われるだろうが、それは違う。都会人が憧れる、自分たちに都合よく改造した自然ではなく、現地の人々が生活の場としている始原の自然の懐の深さと厳しさ。そこでは生と死は紙一重だ。根底には人間も自然の一部で、いかに自然と共存して生きるべきかという考えがある。密漁にしても反対はしているが、そうしなければ生きていけない人々がいることを忘れていない。
作品背景の時勢は今とは異なるだろう。話を作りすぎているところや教訓、自然保護への警鐘もあるが、そういったことをも含めて、当代にも通用する<文学>としか言いようがない。また釣りの描写が多いので、釣り好きには堪らないかも。本当は全篇紹介したいのだけれど、長くなるので主要3篇だけ。

幻の犬
故郷を飛び出してから幾年も経って里帰りした私は、弟のコーリャ(コーリカ)と父親と再会する。父は酒飲みで仕事を転々とし、遂には24年の労働刑に処せられた。そのときコーリャの友である愛犬ボイエーが死んだ。父がいなくなったあと家族を守ってきたのが、まだ少年の域を脱していないコーリャだった。その後、度々故郷を訪れる私を、コーリャは釣りに誘って歓待してくれた。
ある年、コーリャは仲間のアルヒープと老練な組長とで、ツンドラへ北極狐狩りに出かけた。小屋を建て、釣った魚を燻製にして食料を蓄えて、獲物を捕らえる罠を仕掛けた。しかし狐は来なかった。組長は雪が浅いうちに戻るか、それともツンドラに留まるか決断を迫る。
コーリャたち血気にはやった若者は、あくまでも狐を狩るためにツンドラに留まろうとする。組長はツンドラで生き残るためのまじないを唱え、コーリャたちに復唱させた。まじないにはツンドラで生き残る知恵と結束がこめられていた。だが過酷な真冬のツンドラは人間を拒む。ハンターたちは小屋に閉じ込められ、閉塞状態による重圧によって互いにいがみ合うようになる。

********************

凍てついた冷気のツンドラであるにも関わらず、白い大地は美しい。そして苛酷だ。そこで生き延びるためにあらゆる知恵を絞る人間の姿が迫真!雪に閉じ込められて何よりも恐ろしいのは、吹雪でも獣でも女巫術師でもなく、「人間」だ。自然の厳しさと人間の脆さが際立つ。男たちがいがみ合うのは、敵愾心というよりも不信感のためで、不信感の根底には恐怖心があるのだろう。
関係ないけど、戦争をするのはもっぱらオスだということがよくわかった。女の巫術師とは日本でいう雪女のこと。ここでは性的な存在で、微かに母性の気配をも感じさせる。

しずく
コーリャと彼の朋友アキムと、私と息子の4人でオパリハ河へ釣りに出かけた。釣りといっても日帰りではなく、何日も野営するのだ。舟にアキムを残し、初夏のタイガで夜を過ごす私はいつしか思索の世界を彷徨い、タイガという世界を、人生を、たった一滴のしずくに視る。
朝がきてまた釣りを始めるが雨雲がやってきた。コーリャは一刻を争うように舟に引き上げようとするが、私は怪我をした犬を見捨てる気になれなかった。コーリャは私を怒鳴りつけた。舟で待っていたアキムは、町の連中はともかくタイガを知っているはずのコーリャを叱る。

********************

こぼれ落ちかかる一滴のしずくに、タイガへの想いと己の老境を重ねる様は見事。厳寒のタイガに訪れる束の間の夏。ひとときの夏に溢れんばかりの生命力。しかし一度雨に降られると、それまでの美しい風景から一転して、夏といえども生命を脅かすタイガ。コーリャとアキムは、愛犬にかまっているどころではない。一瞬の判断が生と死の分かれ路だということがひしひしと伝わってきた。

魚の王様
チューシ部落のイグナーティチは機械技師だが、同年代の村人と同じく育って学校で学んだのに、清潔でこざっぱりとして、頭もよく裕福。村人たちからは反感を抱かれていないが、弟のコマンドールに妬ましさのあまり反感をもたれていた。イグナーティチもそれと意識していないが、弟を小馬鹿にしていた。
イグナーティチは自分の力で人生を切り拓き、口にこそしないが神や悪魔という不可解なことは信じていなかった。彼は誰よりも魚を獲る術に長けていた。もちろん密漁だ。密漁は漁業監視官に見つかると無事にはすまない。だが川で生まれ育ったイグナーティチは、どうしてもやめることができずに夜の川へ繰り出す。そして幻の魚の王様『オショートル』が鉤針にかかった!イグナーティチは暴れるオショートルを捕らえようとするが・・・。

********************

イグナーティチの脚に針が刺さってからが本題。ここでも生と死が要になっている。翻訳では日本人になじみのあるニュアンスということで、魚の『王様』としているのだと思うが、ロシアは王様ではなく『皇帝』だ。聞くところによるとロシアの皇帝は他国とは違い、人民の父と呼ばれて親しまれると同時に、宗教的な畏敬の対象でもあるらしい。そう考えると、タイトルは内容を実によく表しているのではないかな。チューシ部落の人々にとって、魚がどれほど重要な存在なのかがよくわかった。(2001/10/22)

魚の王様(下巻:第2部)

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