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サマルカンド年代記/アミン・マアルーフ

サマルカンド年代記 『ルバイヤート』秘本を求めて
アミン・マアルーフ

My評価★★★★★

訳:牟田口義郎
リブロポート(1990年3月)[廃版]
ISBN4-8457-0480-3 【Amazon
原題:SAMARCANDE(1988)


1988年度のメゾン・ド・ラ・プレス賞受賞作。これは1969年に設立されたマスコミ関係団体の賞で、フィクションとノンフィクションの各一作品に贈られる。
激動の時代に現れる「失われた手稿本」をめぐる物語。
実在した詩人オマル・ハイヤーム(1048-1131)がルバイヤートを書いたが失われた。その失われた手記が、架空の人物フランス系アメリカ人のベンジャミン・O・ルサージによる手記という形で発見される。巻末にルサージ作成の年表がある。史実に基づいた中東の歴史と政治・革命を軸に、ハイヤームとルサージ各々のロマンスが巧妙に絡まって展開する。

ルバイヤートとは本来ペルシアの四行詩のことだが、現在はオマル・ハイヤーム(ペルシアの詩人、哲学・数学・天文学者)の詩集の代名詞になっている。原本には、詩の他にサマルカンド年代記が書かれているため『サマルカンド手稿本』と呼ばれるという。この年代記は手稿本を手にした人々によって、時代を超えて書き継げられた設定になつている。
『サマルカンド』とは現在のウズベキスタン。アレキサンダー大王の東征の時代には『マラカンダ』の名前で知られており、東部イランのソグディアナ(イラン系のソグド人)地方の中心都市だった。つまりシルクロードの主要都市の一つ。

前編は1072~1257年、ハイヤームが手稿本を書くことになる経緯から、数世紀を経てチンギス・ハン率いるモンゴル軍の来襲によって、手稿本が失われるまで。
サマルカンドを訪れたハイヤームは、その後イスファハーンへ向い、時の宰相ニザーム=ル=ムルクと親交を結ぶ。ニザームは彼をサーヒブ・ハバル(隠密の長官。つまり諜報機関の長)に任命しようとするが、政治に関わることを厭うハイヤームは辞退。代わりにハサン・サッバーフを推薦した。
ハサンはサーヒブ・ハバルとなったが、やがて宰相ニザームを失墜させようと謀る。幾度もの計略に失敗し敗北したハサンは、アラムートに篭もり『暗殺者(アサシン)教団』の開祖となる。やがてニザームが暗殺され、複雑な理由でハイヤームに危険が迫る!

後編は1870-1912年まで。ルサージはハイヤームの手稿本を所持していたジャーマルディーン師(図版有り)に面会を求める。その場でナーセルディーン・シャー(図版有り)の孫シーリーン王女と出会う。ジャーマルディーンはシャーに追放された。そのとき彼の弟子ミルザー・レザー(図版有り)は、テヘランで失われた手稿本を探していた。
テヘランでルサージはミルザー・レザーと接触したが、1896年5月1日、ミルザー・レザーによる事件に巻き込まれるが、からくもテヘランを脱出して帰国する。

1906年、シャーの専制政治に対してテヘランで立憲革命が起る。アメリカではルサージの元へ、ペルシア(現イラン)に憧れるハワード・G・パスカヴィルが、現地生活での助言を乞う。パスカヴィルに刺激されて、ルサージは再びペルシアのタブリーズへと旅立つ。
タブリーズでルサージは、パスカヴィルが『アダムの子ら』(立憲派による革命組織)に関与していることを知る。また、民主主義推進派の指導者ファーゼルと旧知の仲ということもあり、ルサージも彼らと活動をともにする。
イギリスとロシアによって議会は解散させられ、ロシアの命を受けたリアコフ大佐(図版有り)率いるコサック旅団の反革命軍によって、国会が破壊される(図版有り)。これに対しアダムの子ら立憲派と志願兵(図版有り)は、武器を手にしてタブリーズに篭城。攻防を繰り広げるが、国際世論の介入によって事は収まった。

新政府は財政再建のため、アメリカからモルガン・シャスター博士を財務長官として雇う。財政は好転したが、ロシアの策略によってシャスターは解任させられる。以後、イギリス・ロシアの同意を事前に得ることなく、外国より専門家を雇うことができなくなった。そして議会は解散させられ、何人かの議員は逮捕または国外へと追放された。
ルサージとシーリーン王女は、民主主義が無に帰したペルシアを後にして、海路をアメリカへと向かう。時は1912年、行く手に何が待ち受けているかも知らずに・・・。

********************

アミン・マアルーフ(1949~)はレバノンの首都ベイルートで生まれ、大学で社会学と経済学を専攻後、ジャーナリストとなる。1976年以降はパリに定住し、著述業に専念。
この作品は手稿本の探求物語ではあり冒険小説でもあるが、本質的には歴史小説ではないかと思う。探求的部分は、ペルシアの政情と切っても切れない関係にある。ハイヤームの詩は当時の政情(世相)への鬱屈した想いが詩作に向かわせたものだから、政情を知ることでより詩の理解が深まるように思った。
中東側からみた、ペルシア(現イラン)を中心とした中東の歴史と政情がわかりやすく書かれている。史実と虚構が巧妙にシャッフルされているので、ルサージが本当に実在して手記を著したのかと思うほどだ。
国境を接するために、諸大国の思惑に翻弄されるペルシア。イギリスとロシアはペルシアに固執し、ペルシアが成し遂げた民主主義政治を叩きのめした。列強国に蹂躙された歴史的事実、そして宗教の派閥。今日の中東問題、列国に対する不信感の根深さが伺えよう。
意外なのは立憲革命の発端の一つに、日露戦争で日本がロシアを敗したことだ。大国ロシアが敗走したことで、テヘランにおける革命軍の士気が鼓舞されたのだ。国際情勢の複雑さが知れる。

ハイヤームの手稿本がほとんど人目に触れぬまま失われてしまったなら、どうして現在、彼の詩が世界中に流布しているのだろう?それはハイヤームが一部の友人に回し読みさせて、何人かが写本を書いたからと云われる。写本は彼の死後に公表されたという。
現存する最も古い写本は、1340年に書き写されて現在はドイツにある『ローゼンの写本』だそうだ。だが、ハイヤーム以外の者によって書かれた詩も混入しているという。
またオックスフォード大学のボードレイ図書館に所蔵されている『ボードレイ写本』は、1460~1461年に書き写されたもので、一番多くハイヤームの真作を含んでいるとされ、最も権威ある写本なのだそうだ(小川亮作訳『ルバイヤート』岩波文庫より)。

備考:2001年12月、ちくま学芸文庫から刊行【Amazon】。 (2002/1/6)

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